戦国策21、扁鵲が秦の武王に怒る話 改

21短いのでそのまま行きます。
解説等は気が向いたときに書くことにしたほうが早そうなので当分はこれでいきましょうかね。
ガンガン書きます笑
やっぱ効率、短時間に多く書いたほうがムダが少ない。
もっと効率を重視しよう。
ってか孫子と戦国策にそこまで時間割いてたら一生かかってもろくなことでけん笑
六韜も読まねばだし呉子とか手をつけてないわけだし。
まだまだ読まなくては。
で、まずは読んでそれから熟考すると。
アドセンス通ったわけだし速さ重視、効率重視、掘り下げるとこはしっかり掘り下げつつ書く方向性に移項していかねば。
速すぎて「これこぴぺでしょ?」と疑われる心配もなくなったわけだし。
てか早くキーボード届いて欲しいわー
疲れるし遅いしキーミス多いし散々ですわ笑




あ、余談ですが個人的にパンタグラフのキーボードがいいと思いますよ。
いちいち指に力をこれでもかとこめるこのキーボードはもう不便で仕方ない。
今日発送されたらしいのでしばしお待ちを笑



 医者の扁鵲(へんじゃく)が秦の武王にまみえた。武王が扁鵲に症状を告げると扁鵲はその病、取り除かせていただきましょうと言った。
しかし武王の側近がここで
「王の病はお耳の前、お目の下にあります。これを取り除かれても全快なさるとは限りません。下手をすれば耳が遠くなり、目は見えなくなるかも知れません」と言うので、武王はそれを扁鵲に告げた。
 すると扁鵲は怒り、石針を投げ捨てていった。
「王は専門家に治療のことをご相談なされながら、なんの心得もない者のために企てをやめてしまわれる。
もしもこの様で秦国の政治をお執りになるのなら、王は一挙に国を滅ぼされますぞ」



 20191225追記
 「アドバイス」ってのは誰でも言えるんですが、でもそれにも「軽重がある」と言えるでしょう。
 専門家、当事者、そうした人は自らの経験や知識に基づいてより具体的なアドバイスを言えるわけです。
 ところが赤の他人は一般論やいかにも当たり障りないことを言えたりする。
 で、後者の方が案外珍重されていたりするのは今の世も変わらないなと思えるわけです。


 勿論、権威を利用して言説を流布する場合もありますから絶対的だとはなかなか言えないんですが。それでも今の時代、その言説は果たしてどうなのか? ということを調べたりもできます。
 賛否両論起こっているなとか、あれ? なんか贋作扱いされているぞとか。そういったいろいろな側面から事態を見ることができる。言われたことが絶対的で信じなくてはならない、などということは全然ないわけです。そうしていろいろなものを統合して、最終的に何を目指すかといえば、これは妥当な見解でしょう。



 妥当な見解という見方で見れば、扁鵲(へんじゃく)というこの医者は当時の専門家です。それに比べて側近は別に医療の専門家ではありません。そもそもそうであれば扁鵲の代わりに治せよなんとかしろよって話ですね(笑)それができない、まあ医療は素人だと思って間違いないでしょう。
 ところが武王はこの側近のアドバイスを受けて迷います。
 全快しないかもしれない、より悪くなるかもしれない。
 そうして不安が湧き上がってきたのでしょう。扁鵲に相談します。
 



 「軽重」がある、なのに武王は不安に駆られて側近の意見を専門家の意見より重視する。
 重視しようとしている。
 即ち、
 ・アドバイスの軽重→重い、専門的、具体的⇔軽い、一般的、抽象的
 ・医者は当事者として治す、それに関わる責任がある。一方側近には別に責任がない。無責任。
 ・でも耳に聞こえがいいのは側近の方、当たり障りない。もう治りませんとか余命いくらいくらですと言われたら怖いのは医者の方。



 こうした前提を踏まえて、武王は軽重の判断を間違い、それっぽい耳に聞こえの良い一般人のアドバイスを受け入れようとします。受け入れかけます。
 そこで扁鵲に怒られると。



 ・この問題の核心はどこにあるかというと、医療云々じゃないと思うんですね。
 専門家⇔素人もまだまだ序の口で。


 偉くなる。
 地位が上がる。
 王になる。
 王になれば、誰だって耳に聞こえのいい言葉を好むようになるわけですよ。
 王になってまで本音をズバズバ言う奴はイヤだってことですよ。


 胡亥(こがい)という皇帝がいました。秦の始皇帝の次の二代目ですね。宦官の趙高が全て手を打って情報を握りつぶし、天下泰平です、陛下の威光の賜物ですとおだて上げられ、毎日酒宴をし、酒浸りで暮らしました。
 ところがある日、反乱軍が都に向かってきておりますと告げられます。趙高は天下泰平だと言っていたのにと激怒しますが、真相を知られたことを厄介に思った趙高が胡亥を殺害します。
 趙高にとっては真相を知ってもらいたくないと思っていたし、酒浸りの世界に浸っていてくれた方が都合がよかったわけです。
 そして胡亥自身もそうだったということです。
 胡亥だけじゃなく、人間だれしも都合の悪い事実、不都合な事実を告げられたくないものです。
 それよりは都合のいい事実のみを聞かされて、その世界に浸っていたいと思っているわけです。




 「佞臣(ねいしん)」と言いますが、主君に媚びへつらって機嫌を取る臣下が出世し、真実を告げる臣下は左遷される。そういう世界は基本的に今も何も変わっていません。
 「忠言は耳に逆らう」とも言います。不都合な話など誰も聞きたくもないものです。
 


 呉王闔閭は伍子胥や孫武を左遷し、滅亡しました。
 劉璋は佞臣を出世させ、恨みに思った配下が団結し劉備を益州へ招き入れました。
 いずれも滅亡しています。



 耳に聞こえのいい意見だけを取り入れるようになれば、滅亡は近い。
 耳に聞こえのいい意見を言う臣下を重用するようになれば、滅亡は近い。
 扁鵲の言っていることは、こうしたこと一般に対する警鐘だと言っていいでしょう。人はどうしてもそっちに流れやすいようにできています。
 良薬は口に苦し。
 だからといって口にしなくなれば、薬など何の意味も持たなくなるのですから。




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