戦国策20、武霊王が周紹に太子の教育係になってくれという話

あーとうとう20かあ。
まだ半分にもいたってないわけですが笑
あ、六韜を書きたいなと実は前々から思ってるんですがしかしなあ。いずれは書くんでしょうが、同じ書くんならもう書いてるヤツの先を書いたほうが得した感ありますよね。あー積み重ねてるわというなんかこう実感笑
それを思うと新規にいろいろ手を出すのもいいですけど続きを書くのには価値があるよなあとかいろいろ考えているわけですね。
前書きしょうもないな笑



 さて。
 今回は武霊王(ぶれいおう)って人の話ですが。
 この人は胡服騎射(こふくきしゃ)を趙国に取り入れた人として有名です。北方民族は卑しいが、強い。ならばマネして趙も胡服騎射をしようではないかと考えた人です。胡服を着て、馬上から弓を射ようと。それをぜひとも取り入れようと。
 あの卑しいやつらのマネをするなどとんでもないとまあとんでもない反発がありましたが、強引に推し進めて趙を大国にしてしまった。いやいや、やつらのやり方のほうが合理的だと。合理性、実用性の追究の前で恥も外聞も捨てた。そんな決断をできた王。
 武霊王はそんな人ですね。




 武霊王は周紹(しゅうしょう)を」太子の傅(ふ、お守り役や教育係のこと)につけて言った。
「私が初めていろいろな県を見て回り、番吾(はご)を通りかかったのは、あなたが子どもの頃の話だった。
 身分の高い者たちが皆、あなたの孝行ぶりを言うので私はあなたに璧(へき、平らで中央に孔のあいた宝玉)を贈り、酒食を贈り会いたいと言ったがあなたは病気を理由に断った。
 その時にあなたを推薦する者がいて、
『父にとっての孝子は、君にとっての中臣です』と言う。

 それであなたの思慮分別から、その弁論は人を導くに足り、その高説は困難に処するに足り、その忠誠なることは意見を明確に述べるに足り、その信義は長く変わらぬことが期待できると思った。
 詩には『困難に打ち勝つには勇気を、乱を治めるには知恵を働かすのは事に処するに当たっての計策。
 太子の傅は行いによって選び、少年の教師は学問によって選ぶのは、筋道による常道』とある。
 計策に従ってしたことは失敗しても厄介ごとは起こらず、筋道に従って行ったことは行き詰っても心配はない。
 そこで、あなたに胡服(こふく)を着て、太子の傅となってくれることを望む。


 周紹は言った。
「王は人選を誤っておいでです。私は適任ではございません」
 武霊王は言った。
「子を見分けるに父に勝るものはなく、臣を見分けるに君主に勝るものはない。その君主はこの私だ」
それを聞いて周紹は言った。
「太子の傅となるには六つの条件がございます」
「その六つとは何か」と武霊王は言った。




周紹は

 ①思慮は沈着で騒がしくなく、臨機の処置ができ、
 ②素行は円満であり礼法に精通していること。
 ③権威をかさに着て圧力をかけても地位をゆるがせるだけの力を持たず、
 ④巨利によっての誘惑も心を変えるだけの力を持たないこと。
 ⑤敬意をもって指示を受け、勝手な行動はせず、
 ⑥下位の者と打ち解けており高ぶらないこと。
 この六つが傅としての資質でございますが、この私にはその資質としてはひとつもございません。
 適任ではないということを知りながらも心のうちに隠して申し上げないのでは、これは罪にあたります。
 王命をもって不適の者を選ばれて、役人に手間をかけさせるだけとあっては任命をされた王の恥となります。
 なにとぞご再考をなさいますよう」と言う。
 王は「その条件を知っていればこそそなたを任命するのだ」と言った。


 周紹は言った。
「国内では王が胡服を着ることはまだ知れ渡ってはおりません。わたしは王の臣下であります。
 そして、王が重ねてお命じになったからにはどうしてこの私が王の命に従わずにおられるものでしょうか」そう言うと再拝し、胡服を王から賜った。
 王は言った。
「私は太子をそなたに託した。
そなたが可愛がってくれて世の汚れを見せぬように。
また行儀作法をよく指導してくれて、暗記を強いられて苦しむことのないように頼む。
君主に仕える者は意向に従い、志に逆らわぬもの。
先君に仕えた者はその高徳を明らかにしその遺子に背かぬものである。
されば大事を命じうる臣下があることは国の幸せである。
そなたがよく任を全うしてくれれば、これ以上の私への仕え方はない。
書にもある、『姦邪の者を追い払うには躊躇することなく、賢者を任用するには二心あってはならぬ』と。
 私はそなたを任用したからにはもはや他人を任ずることはない」
 こうして武霊王は、胡服の衣冠と貝帯(ばいたい)、黄金の帯鈎(たいこう)を賜って、周紹を太子の傅としたのである。




 20191225追記
 恐らくこの話は武霊王という人が型破りで常識外れ、だから当時としては「ちょっとこの人イカれてない?」という見方があったんだと思うんですが、それを踏まえての話なんでしょう。
 何しろ当時としては中国が最も気高く、異民族は野蛮人というような認識でした。ところが「やつらの服は実用的だ」とその価値を認めて、趙国は皆胡服で行くぜ! とやったんですから(笑)
 当然趙国では大反発。えー、オレたちがやつら野蛮人の服を着るのかよと凄まじい反発があったと思われます。


 でもその甲斐あって趙は胡服騎射軍団を作れ、一気に強国になります。
 それは武霊王のまさに英断といえるでしょうが、しかしその反発は非常に強く、武霊王の末路は悲惨です。
 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%9C%8A%E7%8E%8B



 呉起や商鞅、韓信などのように大きな功績を遺した者は悲劇の最期を迎えてますが、この武霊王も例外ではないようです。また、そうした末路を迎えることを「宿命」とか「運命」とか「必然」と捉える世界観もあっても不思議ではないと思いますし、武霊王は載ってないにせよ、司馬遷は意識して「史記」に列挙しているように思われます。
 司馬遷には、そうした流れが意識されていたのではないかと思えます。



 さて。
 武霊王という人が「型破り」で「おかしい」という見方があった中でこうした丁寧できちんとしたやりとりを経て周紹をお守係に任命しています。型破りどころかとんでもなく丁寧だし、意外と常識人じゃないかってのが恐らく相当なインパクトあったんじゃないでしょうか。しかも部下をよく見ているし、部下の能力を見抜いているようにも見える。
 そうなると、武霊王は単に型破りで派手好きだから胡服を趙に取り入れたのではないと。
 きちんとした合理性とよく事物を見る目があった、それを踏まえての胡服だったのではないかというのがこの内容から透けて見えてくるといえるのではないでしょうか。



 
 ついでに、解説には周紹は胡服に反対した臣下の一人だとあります。胡服騎射も当然反対したでしょう。
 しかしその反対した臣下の代名詞……かはわかりませんが、その中から周紹を選んで自らの太子の教育をさせる、というのは既に人並み外れている感があります。
 普通なら、自分の意見に面と向かって逆らった臣下など、誰が重用するだろうかと。恨みや反感を持っているかもしれない。 
 意見としては敵対したかもしれませんが、それを無視してか踏まえてか抜擢すること、能力を見抜いたこと、重用することを決定したこと。恐らく武霊王という人が一般の認識と違って、いかに秀でた人物で、型破りに見えつつ流れを汲む人物で、いかに理路整然としているか、そうしたことを非常によく表しているなと思います。







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