戦国策19、唐且が秦王に兵だした方がいいよと言う話 改






 秦と魏とが同盟国となった。
 斉と楚とは盟約を結んで魏を攻めようとした。魏は秦に使いを送り救援を求めた。
 その使者は冠や車の蓋(かさ)も大量に持っていったのだが、秦から救援軍は出されなかった。



 その時、魏の人で唐且(とうしょ)という年齢はとうに九十を越えている老人がいたが、この者は魏王に
「この老臣が西の方秦まで行き、私が帰るよりも速く秦軍を出させるように致しましょう、よろしいでしょうか」
 と言った。
 魏王は「それはありがたくお受けいたそう」
 と言い、車をととのえて派遣した。



 唐且が秦王にまみえると、秦王は言った。
「ご老体にはここまでお越しいただいて、さぞやお疲れのご様子と見える、誠にご苦労だった。
 魏からはたびたび救いを求めてきているので、私には魏の危急の様子がよくわかっている」
 唐且はこれに答えて言った。



「王が既に魏の危急の様子をご存知でありながらも救援が到着しないのは、王の下で策を巡らす臣下には、その任に耐えうるだけの者がいないためです。
 魏が大国のひとつでありながら、秦の東の盾と称し、秦の衣冠束帯(いかんそくたい)の制度を受け、春秋に貢物を捧げ、秦の祭祀を助けておりますのは、秦の強さが魏の同盟国とするに足ると思ってのことでございます。
 今、斉と楚の軍はすでに魏の郊外におります、しかし秦の軍は参りません。
 魏が危急となれば、土地を割譲して斉・楚と盟約を結ぶこととなりましょう。
 王がそうなってから救いになろうとしても、間に合うものではございません。
 それは魏を失いになり、斉・楚を強くすることです。
失礼ではございますが、王の策謀の臣にはその任に耐える者がいないのだと思います」
 秦王は危険に気づいて思わずため息をつき、急遽援軍を出陣させ、昼夜を問わず魏に向かった。斉・楚はそれを聞いて、やむを得ず撤退した。
 魏に平穏が戻ったのは、唐且の遊説(ゆうぜい)あってのことなのである。



 前に書いてからえらい時間が経ってますが。
 唐且は前にも出ましたね。安陵君の使いとして秦王である政、後の始皇帝のところにやってきたと。
「おう、安陵滅ぼすぞ?」と凄む秦王に対し、「殺すぞ?」と凄んで秦王をびびらせたのが唐且でしたね。


http://from2ndfloor.qcweb.jp/classical_literature/shinboushikan.html


 ちょっとリンクを張りましたが。
「歯無くして唇寒し」(はなくしてくちびるさむし)という諺があります。
あるいは「狡兎死して走狗煮らる」(こうとししてそうくにらる)なんてのもありますが。

http://housuu.com/c6.html

 協力して標的を倒したら、次は自分の番だというような感覚ってのは中国の歴史を見ていたらちょいちょい出てくるので、けっこう馴染み深い(?)感覚なんでしょうね。
 見る人がその状況を見たら「あ、これはヤバイな」と解る。
 でもそうと気づかない人も多くいる。韓信などは信用しきっていたからとうとう最後まで気づかなかったというわけですね。


 ・さて。
 秦からは援軍が送られてこない。
「魏なんかどうなろうと知ったこっちゃない」という秦の態度がありありと伝わるようですね。一応同盟は結んだ、だが魏から秦への貢物は受け取るが、秦から魏のような弱国へ援軍など送りたくない、めんどくさい、そもそも滅亡しようとどうでもいい。こっちだけ得をして魏は損してりゃいい。
 口ではいろいろ言ってますが、要するに秦の思いはこんな形でまとまっています。
 それを唐且も見越している。


・唐且は「魏が滅んだら」を秦王に説明します。斉と楚が魏を併合して当然強くなる。
 仮に生き残った場合、当然魏は斉と楚と盟約を結ぶ。
 どう転んでも秦に得なことはひとつもないわけです。
 まさに「歯無くして唇寒し」ですが、それとは唐且は言わない。概念としては知っているでしょうが、そうは言わない。
 でも説得力は十分でした。
 一手先は魏の滅亡、あるいは壊滅的な状況。二手先は斉と楚の側に付くということ。そうなれば当然今後の秦の憂いとなる。
 たったこれだけのことが秦王の側近で見通せる人間がいなかった。
 そうして秦王は魏に援軍を送ることになりますが。



・わたしとしてはもうひとつ重要なことがあると思っています。
 これによって斉と楚は撤退した。秦は当然そのまま引き上げた。
 魏はもちろん損害も出ているわけもなく。
 つまり、見方によっては・・・というよりこの状況、誰がどう見ても何も起こってないわけです。
 何も起こってない。
 この平凡に見える一事がどれだけすごいことか。
 その何も起こってない裏でこんなことが行われてましたよと編纂者はこうして示したわけですが。
 「何も起こってない」ということに着目することがいかに難しいことであるか、ここは非常に重要なところじゃないかと思います。
 人は誰しも起こったものすごい出来事に目を奪われ、心奪われます。人間の性だと言えるでしょうけれども。
 そうでないところに目を向け、そこにあるものに価値を見出す、予防ということに価値を見出す。これは大切なことじゃないかなと思うんですね。
 ここで唐且は何もしてません(まあ前回も何もしてないわけですが笑)。
 ただ話をしただけです。偉人か英雄かと言われればきっと誰もが首をかしげるでしょう。
 でも、それによって何もなかったという結果が得られたことが素晴らしい、そうした価値観をこの話から汲み取ることが非常に大切なんではないでしょうか。
 じゃあ、唐且は一体何ものだと言えるのか??問題はここなんですよね。



 20191226追記
 上下関係ってのは今でも息づいているものだといっていいでしょう。
 兵士を出す。援軍を出す。助ける。
 いかにもやってる方が下みたいだし、兵を出させている方が上みたいですよね。
 秦からしたら、いかにも魏のために援軍を出すなんてのは秦が下みたいでメンツに関わる。
 逆に、秦へと兵を出させたら魏が手下みたいだし、贈り物をさせたら気分がいいわけです。
 あれやれやと言って従ったら、気分がいい。
 いかにもこき使ってる感がでている。
 この気持ちは今でもしっかり習慣として生きているものだと言っていいでしょう。



 秦ではそうした気持ちが優先され、利害が優先されてはいないということは明らかです。
 唐且が説いたのは利害です。
 魏のために兵を出すのはメンツに関わる。
 しかし同盟国である魏が衰退すれば、秦は贈り物が減る。
 そもそも斉や楚が強くなれば秦は存亡の危機にさらされかねない。
 メンツ一つのために実利を失い、自国を存亡の危機にさらす事態に陥りかねない。
 それが全く考慮されていない。





 現実もこれとよく似ているように思います。
 ブラック企業で部下を徹底的に使う。潰す。こき使う。過労死させる。半死半生になる。
 そうして企業としては、数字としては得します。ところがその人はその企業を果たして愛するでしょうか。
 その企業を離れてもあそこは良かったとどこまで思い出にできるでしょうか。
 言ってみれば、従業員として使うことはファンを作ることの一形態でもあると言えると思います。
 



 その部分を徹底的に潰してしまう。
 もう二度と行きたくないと思わせる。
 こき使って得した気分になる。
 でもその人が「あそこはクソだ」ともし言いふらしているとすれば?
 目に見えないところで、間接的に多くの敵を作っていると言ってもいいでしょう。




 メンツと利害というのは全然違うものでありながらも、同じ秤にかけられることが多いように思います。
 そして大体勝つのはメンツです。
 そうした価値判断を当時、つまり2500年前から、今現在も社会が引きずっていること。
 この意味はもっと広く考えられるべき問題であると思います。
 その意味でこの唐且の言葉は今もなお生きる言葉ではないかと思います。


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