戦国策17、蘇秦が燕で窮地に陥る話 改

さて、野暮用でしばらく書けないかなと思ってますが、とりあえず今日で三つくらい書きたいなあ。




 蘇秦(そしん)のことを燕王にそしる者が現れた。


 「武安君(蘇秦)は天下第一の信用できない人物です。
 王が明君でおられるのに奴に取り込まれ、奴を朝廷で尊んでおられるというのは、自ら小人の一人だと天下に示しておられるようなものです」
 これを聞いた王は、蘇秦が斉から戻ってきても寝場所を与えなかった。

 蘇秦は燕王に言った。
「私は東周の賤しい家柄の者でございます。 
 王に初めてお会いしたときには、大した功績もないのにわざわざ郊外までお出迎えくだされ、私を朝廷でお認めになり扱ってくださいました。
 今、私は王のために使いをし、十城を得るという利を上げて危急迫った燕を存続させる功を挙げました。
 しかし王が私の言うことをお聞き入れになりませんのは、誰か私を信の置けぬ者と中傷した者がいるに違いありません。


 もし私が尾生(びせい)のように信を守り。
 伯夷(はくい)のように廉潔(れんけつ)であり。
 曾参(そうしん)のように孝でありましたならば。
 三人は確かに素晴らしい人物ではありましたが、このように王にお仕えすることはできないのではないでしょうか」

 燕王は言った。
「できるのではないだろうか?」
 蘇秦は続けて、
「もしこれほど高尚な行いが身についておりますならば、私などは王にお仕えしておりません。
 曾参のように孝行者でしたら、親元を離れて一晩でも外泊などは決して致しません。
 王はそんな者をどうして斉に行かせられるでしょう。

 伯夷のように廉潔でしたらただ食べて寝るだけの生活などしません。
 武王の暴挙などは汚らわしいと見て臣下とはならず、狐竹(こちく)の国の君主などさっさと辞めて、首陽山(しゅようざん)にて餓死するという末路なわけですから。
 これほど廉潔な者がどうして数千里もの距離をのこのことやってきて、弱く危急の迫る燕の王に仕えようなどとしますでしょうか。

 もし尾生のように信を守るのでしたら、橋の下でと約束して相手の女が来なければ、川が増水しても一向に去らず、橋の柱に抱きついたまま死んでしまうほどですから。
 ここまで信を守るような男がどうして燕・秦の威容を斉に誇示して大きな功績を得ようなどと思うものでしょうか。


 それにまた、信義を守り抜くという行為は自分のためにするものでして、人のためにする行為ではないのです。
 いずれもみな後生大事に自分の名声を守る方法であって、自ら進んでするものではないのです。
 三王が次々と興起し、五覇が互いに隆盛しあうこととなったのは、皆が自分の名声を守らなかったからです。王は御自分の名声を守ることをよいこととお考えですか。
 それならば斉は太公望が封じられた営丘(えいきゅう)の他に土地を増やすことなく、王は楚との国境を越えることなどせず、城の遥か外の世界をうかがうことなどもしなかったはずです。


 ところで、私には老いた母がおります。
 老母をおいて王にお仕えし、自分の名声を守る方法を捨てて、物事を率先して行う道をとろうと目論んでいるわけですが。
 私のやり方が王と合いませんのは、王は自らの名声を守る君主であり、私が行う者であることによります。
 いわゆる『忠臣なるがゆえに、主君から罪せられた者』なのでございます」
 燕王は言った。
「忠臣である者に、一体なんの罪がありえようか」

 蘇秦は言った。
「王はご存知ないのです。
 私の家の隣には遠国へ出て官吏となった者がおり、その妻は姦通していました。
 夫が帰ってくることになり、姦通していた男が心配しましたところ、『あなたは心配しないで。私はもうとうに薬の入った酒を準備してあります』その後、二日して夫が戻りました。妻は妾に命じて大杯に注いだ酒を勧めさせました。
 妾は、それが薬の入った酒だと知っておりまして、勧めれば主人を殺すことになり、それを言えば婦人を追い出すことになる。
 思案した挙句、転んだふりをして酒をこぼしてしまいました。
 妾は転んでしまうことにより、上は主人の命を救い、下は婦人を家に留めることに成功しましたが、かくまでも忠誠を尽くしながらも鞭打たれることは免れなかったのです。
 これこそが忠臣なるがゆえに罪せられた者でございます。


 ところで私の立場ですが、不幸にもこの妾に良く似ているところがあります。
 私は王にお仕えしまして、君の義を高揚し国益を増したのに、それが今なんと罪せられました。
 私は天下に、これから後に王にお仕えする者が、自らの力を出し切らなくなることを恐れます。
 また私が斉に献策をしたとき、私は斉を欺いてなどおりません。
 もしも斉に献策する者に、私のような言い方をさせないようにするならば、例えかの尭、舜(ぎょう・しゅん)ほどの知恵があっても、今後斉は決して取り上げることなどないでしょう」


 ……これ、明らかに28のその後ですね(笑)
 今日書いた28


 これが示している事実はけっこう重要で、この戦国策は時系列に全く興味がないというか沿ってないというのを明らかにしているということができるでしょうね。問題は時系列にはないと。
 もっと重要なのはこの話一つ一つの内容だといえるでしょうが、でもそれにしたって続けて書いてもよさそうなもんですが(笑)それとも敢えて分断して書いているのかもしれませんね。時系列順に並べて、下手に時系列に意味ありそうな感じを持たせないためだろうか。



 ・先日は田単が功労者であるがために危うい目に遭ったという話を載せましたが。

 功労者が危うい目に遭うというのは、どうやら小国燕でも同じようです。
 葬儀中に斉に攻められた。卑怯な奴めと憤りながらも大国斉を前にして手をこまねいていた。そこで蘇秦がいろいろ働きかけることによって危機を脱したどころか城は返ってくるし、さらには大量の黄金が斉から贈られるように仕向けた、というのは28の内容です。


 燕からしたら素晴らしい功績だというような話でしょうが、しかし同時に非常に危険な話でもある。まさか災い転じて福と為して、これだけの功績をほかに上げられる人物がほかにいるだろうかといえば、まあいないでしょう。
 ほかの臣下からしたら全く目の上のたんこぶでしかない。目障りだし、あることないこと王に吹き込んで殺してもらいたい。そうした事情は燕もほかの国も同じですし、また現代にも通じるものがあります。
 成果を残すことは、決して手放しに喜んでいいことだとは言えないものだといえるでしょう。



 ・蘇秦の場合はこうして燕王に直訴するわけです。で
 ①清廉潔白なだけの人物ではなにもできないこと
 ②自分は忠を尽くしたがために窮地にいるということ
 ③決して自分は斉を欺いてこのような結果をもたらしたのではないということ
 こうしたことを王にアピールするわけですが。
 ③などは自分自身が「舌先三寸で敵国を騙して利益を得る狡猾な男である」という傍から見た目線を明らかに意識していると言えます。つまり、誰もかが自分を王に讒言したからこそ、それに対する弁解をせねばならないことを意識していると。そうした認識があるという意味では、ただ単に口がうまい人物だとは言えないと言えるでしょう。よくよく周囲や自分を認識しており、その認識が正しく的確であるがために働きかけの効果も上げることができていると。
 決してその場しのぎの出まかせを並べて場をしのぐという人物ではどうもなさそうです。




 ・とにかく、窮地に立たされた時に蘇秦は自らの武器である弁舌と正確な現状認識を武器としてその場を切り抜ける。そうしたことがよくわかる話だと言えるでしょう。
 韓信は処刑された。
 田単は貂勃と一緒に窮地を乗り切った。
 張儀は蘇秦以上といわれる人物ですが、それでも最終的には危機から逃れるために秦から出て魏に行き、宰相となりもう二度と秦に戻ることはなかった。
 そうした流れを踏まえて蘇秦を見ると、蘇秦はこのようにして危機を乗り切ったのだなということが意識されます。



 自らの弁舌を武器として諸国に赴くのが縦横家ですから、張儀などは楚であらぬ疑いをかけられ叩き出されます。命を懸けたやりとりをしているだけに肝も坐っていれば、口もたつ、常に理路整然としていなくてはならない。
 蘇秦は仕えている燕で功績を立てて、疑いの目を向けられました。窮地でもこれだけのことを並べ立てて燕王を説得するということ、しかも焦っておらず話は例が豊富にあると。よくも窮地でこれだこの話ができるものだと思いますが、これによって蘇秦の凄みが引き出されているといえるでしょうしそうしたことに作者は目を向けさせたいのかなと思われました。





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