今回は非常に短そうで。
たいへん助かりますね笑
張儀は秦を出奔して魏に行った。魏では張儀を迎え入れようとした。
張丑(ちょうしゅう)は王を諌めて、入れさせまいとしたが、王に取り上げてもらえなかった。
張丑は一旦退出して後、再び王を諌めて言った。
「王は、年老いた妾がその家の正妻に仕える話をご存知でしょうか。
子は成長したし、容色は衰えたし、ひたすら家を大事と思うのみです。
今、私が王にお仕えしておりますのは、あたかも年老いた妾がその家の正妻に仕えているようなものです」
魏王はそれを聞き、張儀を迎え入れなかった。
はて。
こんなくだりがあったかな笑
仮にあったとするといろいろ事実とうまく組み合わさらない。
多分、張儀のことだからうまく手を打って魏に入るってことだろうが。
そこらへん無視して書こうかな笑
ちょっと調べます笑
20191226追記
で、いろいろ調べました(笑)
これ二通りの可能性がありますね。張儀が魏に行ったのは二度です。
①楚を攻める前の場合
・この話がひとつなぞらえている話があります。
張儀は秦のために働いており、秦のために各国に対していろいろやってる人物なわけですが、魏の次は楚が標的となります。
張儀自身が楚に恨みを持っていたために、楚に対していろいろ工作するというのは分からなくもない話ですが、魏に対して果たしてどう出るか、プラスに出るかマイナスに出るかは分からないという状況です。
・楚には屈原(くつげん)という人がいましたが、この人も張丑と同様、楚に張儀を入れさせまいとした人です。
入れさせまいとしましたが結局楚では張儀を入れ、いいように操られ楚は騙され騙し討ちにあい結局大きく衰退することになります。しかし口がうまく政治や根回しもうまい張儀を前にしては、屈原はなすすべもありません。なぜ誰も張儀の魂胆が誰もわからんのだ! と憤慨します。
結局、楚と自分の未来を悲嘆して汨羅(べきら)に身を投げます。その時詠んだのが「懐沙の賦」(かいさのふ)というものです。こちらに引用させていただきます。
http://esdiscovery.jp/knowledge/classic/china2/shiki085.html
で、この屈原という人と楚の状況を踏まえた話がこの張丑の話だとみていいでしょう。
・魏は張儀に真っ先に狙われた国であり、その次が楚であること
・楚は張儀を滅多打ちにしたことがある国であり、恨みを買っているが、魏はそうではないこと
・楚は「斉と対立してくれるなら六百里の土地をあげますよ」と張儀に持ち掛けられ、斉と対立する。ところが秦からは六里の土地しかもらえず、約束が違うぞと秦に攻め込み、待ち構えていた秦の大軍の前に大敗する。
・もともと王を諫めていた屈原は絶望して自殺する
こうした事情を踏まえてこの話を見るとどうなるか。
・張丑はつまりそうしたことが起きる前から、張儀が来ると知りこれはやばいぞと予見しています。あいつの魂胆は秦を強くすること、そして楚に復讐をしたいのだろうと読んでいます。工作がうまく、話術にも長けており、言っていることと魂胆を別にすることなど造作もないこと、それだけに非常にヤバいことになると思っているわけです。
そして王に直訴して止めさせることに成功するわけです。
ところが、その後張儀はいろいろと工作をして、とうとう魏の中に入り込みます。そして王と話をします。
ここでした話は、斉と組んでも利益がないので秦と手を組むべきだということです。そして交渉は成功し、秦と魏の同盟を結ぶことに成功します。これはあくまでも秦の利益のためであって、魏のことは全く考えてません。これは後の楚に交渉して斉と断交させたのと同じ方向性を持っています。あくまで秦の敵は斉だと認識しているといっていいでしょう。
・さらにはこの前の時点で秦の王に勧めて魏を攻め取らせていることも注目するところでしょう。領地を攻め取り、その功績で秦の宰相となっておきながら秦を去ってこうして魏に来ようとしているわけです。魏を攻めるように仕向けた張本人がです。つい先日まで戦争し仲が悪かったはずの二国間に同盟を組ませる。それによって奪った領土も返さなくて済むようにしたと思って間違いないのかなと。
とにかく縦横家と呼ばれるだけあって口がうまい。
交渉を始めたら目的を達成し事態をうまく運ぶまで徹底的にやると。
②楚を攻めた後の場合
この場合ですが、秦王が死んで、新しい王が立ったけどどうも張儀と仲が悪かったようです。そこで居心地が悪くなったので魏に行ったという話になります。
すると張丑が止めたというわけですが。
そうなると張丑は先見の明があり張儀の悪だくみを先手を打って止めようとした、という意味合いはなくなります。魏はボロボロにされ、楚も痛めつけられた後ということになります。
「秦は憎いが、その張本人は張儀だ」という認識が広く一般に広まった後ということになりますね。誰もが知っているし、もちろん張丑も知っていると。
でもこうなると妨害しようとしたけど、結局張儀は魏に入ったし、しかも魏の宰相として迎えられましたという意味合いになると張丑なにをやっているんだということになりますし、そうした状況下で魏に入りしかも宰相になった張儀のすごさを引き立てる意味合いしかないように思われます。
テキストではこの②の立場を採用しているようですが、こうなるとあまり深く読む内容がなくなりそうですね。
張丑は無力だったし、張儀はすごかった。
以上となりそうです。
・ところでこの張儀が使えた王は恵文王という王のようです。
この人はまだ太子だったころに部下が商鞅の法改革によって罰を受けており、商鞅に恨みを持っていました。そして刑法に則って商鞅を処刑するわけですが、商鞅の改革自体はなかなかいいなとそのままとしたそうです。これによって秦が一気に強大な国となり、そこへ張儀がやってきたと。
その子が武王です。張儀と仲が悪かったそうです。部下と力比べをしてかなえを持ち上げて、すねの骨を折って死去したのだそうです。
この次が昭襄王であり、始皇帝の曽祖父だと。武霊王がいろいろやって王位につけたそうです。
この時代に范雎(はんしょ)や白起(はくき)といった武将が出る、という流れのようですね。
・さらに追記ですが、もしかしたらこれ、張丑が燕から逃亡してきた話も元にしてる可能性がありますね。ふと思いついたので書くことにします。
張丑は燕で人質とされていましたが、あらぬ罪を着せられて処刑されかけることがありましたが逃げました。
そしてある門で門番に止められますが、逆に門番を脅します。
「オレが追われている理由は、王が大切にしている珠を盗んだ嫌疑をかけられているからだ。
もしこれで追手が来たら、オレの珠は貴様が盗んで飲みこんだと言うからな。きっと貴様の腹は切り裂かれて珠を探されるんだろうな」
門番は震え上がって張丑を通したそうです。これは伍子胥にも同じような話があり、咄嗟の機転を効かせる人物として描かれているように思われます。
ところが、それだけ胆が座って機転を効かせられる人物がどうやっても張犠を止められなかったと。巧みな弁舌で王を操り、国を意のままに操る。それだけのすごい人物として張犠を浮き彫りにする意味合いはあるのかも知れません。
ただ、張犠も秦での晩年は悲惨で、恵文王が死んだ後には仲の悪い武王が立ち、大臣らの讒言や仲間外れで秦にはいられなくなったようです。いたら命が危ないと。
もしもですが、そうして魏にきたらこうして張丑が止めたという話だとすれば。
あれだけ世渡りがうまく七国を切り盛りし、秦の繁栄に貢献した男の末路がこいつは危ないからと魏に入れさせまいとする力が働いたと考えるならば、輝かしい人生、素晴らしい弁舌、縦横家の代表格である張犠の悲惨な末路を表しているかも知れません。栄枯盛衰みたいな。
その結論はちょっと戦国策らしくないかもですが(笑)
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