戦国策16、文候が西門豹にアドバイスをする話

この話はちょっと特殊ですが、とりあえず書きます。



西門豹(せいもんひょう)が鄴(ぎょう)という邑(ゆう、むら)の令(れい、ちょうかん)に任じられた。
そして魏の文候(ぶんこう)に暇乞いをした。
文候は「行きなさい。ぜひとも功績をあげ、名声を上げなさい」と言った。
西門豹は「恐れながらお伺いします、功績を上げ名声を上げるにはどのような方法があるものでしょうか」と聞いた。
文候は、
「老人で真っ先に席を勧められるような人物にはあなたのほうから訪問し、土地の賢良の士を問い、その者に師事すること。
またとかく人の美点を隠して他人の欠点を言い立てる者を捜し求めて、その批評を参考にすることだ。
物ってのは、似て非なるものが非常に多い。
莠(ゆう、ねこじゃらしのこと)の若芽は稲の苗に良く似ている。
驪牛(りぎゅう、黒い牛)の黄色いものは虎に良く似ている。
白骨は象牙と紛れやすい。
武夫と呼ばれる石は玉そっくりだ。
しかしこれらは皆似て非なるものだ」


・後日談があるんですが、とりあえずそれは省いてまた後で書きます。
この編纂者はこの話を一体どんな意図で書いたんだろうかと不思議に思っているんですが。
①その後日談の方があまりに有名で、だからこそこの話を出して、この魏の文候を笑う意図があるのか
②西門豹がこの言いつけに全く従っていないことを言いたいのか
③それらを一切踏まえずこの話だけを出して、この文候の指摘そのものを分析したいのか
恐らくどうしても①もしくは②であって、③はないんだろうなあ。


・「ベストなタイミングで、ベストなことをする」
ということ、それがいかに大切かってことがここまでちょいちょい示されてきたなということを思えば。
西門豹はこのアドバイスにまったく従っていないどころか、まったく真逆を行います。
ベストをするってことが「踏まえる」ことを意味するばかりではない。
またはあるいはベストってものに、「それを踏まえない」あるいは「それを反面教師とする」、そうしたものも加わってベストが見出される。
そうした意味では非常に意義深いなと思います。


・日本でも「非の打ち所がない」なんていいますが、ここでもそのようですね。興味深い。
美点に目を奪われて何も言えないことよりも、しっかりと粗を探して把握するってことが重要視されています。
その粗を多く見つけて、指摘できる人がしっかりした者であると。
その人が指摘できない、非の打ち所がないような人が素晴らしいのだと。
人を加点主義ではなく、減点主義で見ようという概念がもうすでにここにあるわけですね。
「よく似ているけれども、全然別物だからね」と文候はいろいろ列挙しています。
ようするにそのいいものと悪いものとを峻別する最もいい方法が「減点主義」なのでしょう、そしてその減点がしっかりできる人がいい眼を持った人であって。
どのくらい粗を見つけ出せるか。そうして減点して物事を見極めるべきだといいたいようです。


・でもまあこれは私見ですけれど。
「悪いものを悪いと減点して残ったものがいい」なんてことはあり得ません。
それはいいものではなく「減点されなかったもの」に過ぎない。
それでいいものが見抜けるなんてのは幻想だし甘い期待に過ぎないと思っています。
じゃあ加点主義がいいのかって言ったら、そう言いたいわけでもない。
加点されれば加点されたものが見出されるし、減点されればされるだけ減点されなかった物が残るに過ぎない。
結局「いいものをいかにして見出すか?」って話ですけれども、いかにいいものを見出すのが難しいのかってことだし、加点することも減点することもそのための手段に過ぎないんですよね。
従って、常識的だとしっかりしているとはいわれるかもしれませんが、しっかりしていることと妥当な見解を常に言う事ができるのとは全然別物です。
まああくまでもこれは私見です。
というかこれ私見の塊やな笑



・話を戻しますが、どう考えても編纂者はこの文候の言葉から文候を「常識的」な人物だと言いたいんだと思われます。でも常識的であるしっかりしていて外さないことが最もベストな手を打てることを意味しない。むしろ、常識的であることがベストな手を打てなくさせている最も大きい障害であるとすら言えるかもしれない。
西門豹はこの言葉を反面教師として、鄴で徹底的な改革を行います。それによって偉大な功績ととてつもない名声とを手に入れることができました。
そうした意味で文候を徹底的に皮肉った一文でしょう。
いかにその後日談を載せます。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%96%80%E8%B1%B9
https://hajimete-sangokushi.com/2017/04/05/%E8%BF%B7%E4%BF%A1%E3%82%92%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%AD%8F%E3%81%AE%E8%A5%BF%E9%96%80%E8%B1%B9%E3%81%9B%E3%81%84%E3%82%82%E3%82%93/


20190618追記。
良いもの、悪いものをいかに峻別すべきか。恐らく主観的ではなく客観的にというのはあるでしょうし、客観的の中でも権威に従って判断していれば間違いないという見方はある。少なくとも、正しくはなくとも間違いはない。間違っていたとしても責は自分には係らない。いいものと悪いものを見抜くのは非常に困難だからね、と言う訳ですが、西門豹の重要なところはいいものがいいというのを貫いているところにある。主観的か客観的かではない、相対的か絶対的かで見る。
悪いものを無くし、いいものを伸ばせば難しいことは何もなく良くなる、改革っていうことがそのようにしてなされる、またはなされる場合があるということを示しているかのような話だ。




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