戦国策15 竜陽君が魏王にゴマすりする話 改改
魏王は寵愛する竜陽君(りゅうようくん、ろうようくん)と同舟(どうしゅう)して釣りに興じていた。
竜陽君は十匹あまりの魚が釣れたところで涙を流した。
「何か心配事があるのかね。言ってみなさい」と王は言う。
竜陽君はこれに答えて言った。
「私に心配事などありません」
「それならなぜ涙を流すのか」
竜陽君は言った。
「私は王がお釣りになった魚にございます」
「それは一体何のことだ」と王は言う。
竜陽君は続ける。
「初めて魚が釣れました時、私は嬉しくてたまりませんでした。
ところが後から釣れる物の方がより大きいのでございます。今では私はためらいもなく先に釣った魚を捨てようとしています。
思えば私のように醜いものが王の寝床のちりを払わせて頂いたりもしています。
今や私の爵位も人と同格にまでしていただき、宮中では人を小走りもさせるし、道路では人を避けさせてもいます。
しかし広い天下では美人もさぞ多いことでしょう。
この私がこんなにも可愛がっていただいていると聞けば、きっとあまたの美人が王のもとへと馳せてまいりましょう。
それを思えば、私など先に釣れた魚と同様でございます。
私も今に捨てられましょう。これにどうして涙を流さずにいられましょう」
これを聞いて魏王は、
「ああそのようなことを考えていたのか。どうして今まで言わなかったのか」
と言った。
かくして国中に布令(ふれ)を出した。
「美人を指しだそうなどという者がいたら、一族皆殺しとする」
このことから考えてみるに、天子の寵愛を得ている人物というのがへつらいという手段を握っている様のいかに堅固なことだろうか。王と結びつき、王の庇護の下へと潜り込む様のなんと完全な事か。
今仮に、千里の彼方から美人を進献するとして、差し出した女が寵愛を受ける保証が一体どこにあるだろう。
仮に寵愛を得たとして、それが進献した側の役に立つ保証がどうしてあるだろう。
それに、天子の寵愛を得ている女たちが進献した者に恨みを抱くので、災いが起こることはあれど幸いが得られた試しがない。
恨みを抱かれることはあっても、恩恵を受けた試しがない。
知恵者の企む術策とは言い難いといえる。
・この故事に基づき、「竜陽」という言葉は「男色」(つまりホモとか男同士で云々とか)の代名詞となりました。
竜陽についてはこちら
https://www.weblio.jp/content/%E9%BE%8D%E9%99%BD
・この時の魏王は調べてみると哀王(あいおう)というそうです。
竜陽君のページに名前だけ出ています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%99%BD%E5%90%9B
・「竜陽の寵」って言葉調べても出てきませんが、
①男色のこと
②寵愛を受け、好き勝手に振舞う事
③寵愛を受け、権力側で自分に有利なように体制をもっていくこと
多分ここらへんになるのではないでしょうか。
ストレートに言えば、まあ①の男色でしょうね(笑)
20200209追記
・さて。最後に編纂者の一言みたいなのがくっついているのに驚きましたが笑
前回の安陵君もそうだったのかと今気付きましたが笑
「いかに媚びへつらうか」、媚びへつらい、これがテーマなんだなあと。おせえよと言われそうですが笑
ゴマすりとかって普通一般的には嫌われますよね。でもそのゴマすりがいかに効き目抜群であるのかっていったら、古代中国からこの現代まで脈々と続いているまさにこれですよね。これがもう十分にその凄さを物語っている。中国四千年の生きた知恵を脈々と受け継いでいるのは、その伝道者はきっとそうして各地で今もがんばっているのでしょうね笑
わたしは別に好きではないというよりむしろキライですけども、まあ多分皆さんも嫌いでしょうけれども笑、まあキライならキライなりに開き直ってゴマすりの秘法を学ぶってえのもおもしろいのかもしれませんね。
・安陵君もこの竜陽君もそうですが、時を求めています。安陵君は楚王と共に狩りに入ったその時をずっとうかがっていました。
それと同様にこの竜陽君も時を求めていたんだなというのがよく伺われますね。
魏王が釣りをするタイミングに同行する、そのタイミングってのを虎視眈々と窺っていたのでしょうね。
「ベストな時に、ベストな物言いをする」
その意味では、安陵君は三年待ったのでしょう、そこは非凡ですが。結果的に効果から見ればこの竜陽君もベストな時をずっと待っていたに違いありません。
最終的に至った境地は同じです。
「狩りは楽しいです、でもあなたが死んだ後にどうして狩りを楽しめましょうか」
と言って壇は安陵君の地位をもらった。
魚を釣っているときに涙を流し、
「私もこの魚と一緒です、王の釣った最初の魚です」と言う。
・まああくどいというか汚いというか・・・笑
そうも見えないことはない。
でも本質的にはこれは「人事を尽くして天命を得る」そのものだと思っています。
その時を待つ、その時にずっとこうなる算段をし尽くしていたのでしょう。
そりゃあ直接地位を狙ったわけではないのかもしれませんが、自分の言葉が一番ベストな効果を持つ、意味合いを持つ、その時をじっと狙っている。そして時がきたらきちんと言う。最もベストな言葉を使う。
その構造は非常に単純、まあゴマすりですから。
でもこの「ベストな言葉をベストなタイミングで言う」
このたった一時がいかに難しいか。
・話を戦国策の一番最初の話に戻します。
楚王と、その夫人がいて。で美人の新しい奥さんが魏から送られてくると。
夫人はその奥さんにせっせと尽くして、楚王と新しい奥さんの信用を得る。
楚王も絶賛するわけです。
「嫉妬は自然の情であるが、今君がしていることは私以上の可愛がりようだね。
これこそが孝子が親に仕えるもので、忠臣が君に仕えるものだよ」
①そうしてまず二人の信用を得る。自分は嫉妬していないと安心させる。
②新しい奥さんに「王はあなたの容姿は好きですが鼻は嫌いといってましたから、王の前に出るときは鼻を隠しなさい」
とアドバイスをする。
③王が「なぜあいつはわしの前で鼻を隠すのだ?」と聞かれたら、即座に
「あの者は王のにおいをかぐのをいやがっております」
④王は激怒し、新しく来た婦人を鼻切りの計に処した。
⑤こうして最も強大な敵となりそうな相手は排斥されて、夫人の地位は安泰となった。
賛否両論あるところでしょうが、しかしもしも相手の側が男を産み跡継ぎとなったりした日には。
こちら側が全滅させられかねない。
そんなご時勢を思えば、まあよくやったのかなと。
別にプラスを生むわけではないでしょうが、少なくとも後顧の憂いなしとなるわけで。
これも思い出せばあまりいい話ではないわけですが笑
打つべき手を最大限まで打って、時を待つ。
自分の言葉が最大限に発揮される時を待つ。
本当は嫉妬の情がないわけではないし、つまりは辛い時を我慢して凌いだわけです。
「ベストな言葉を、ベストな時に言う」
非常にシンプルですよね。
そしてそれによって物事を自分の思ったとおりに進めていく。
有利に、願った方向へと。
それもただ口に出せばいいってもんじゃない。
じゃあどのようにしていくか。
非常に学ぶものが多いなあと思いますねー。
20200312追記
・最後誰かの後書きみたいなやつがくっついているんですけど。
「知恵者の企む術策とは言い難いといえる」
考えてみればこの結論は奇妙ですよね。
権力者から寵愛を受ける者は強いのだと。
仮によそから美人がきたとして、じゃあその領域に足を踏み込むことは絶対に幸運なことだといえるのかと。
そもそも罠にはめられて刑罰を受けることになるかもしれないし、連座制で推薦者も刑死するなんてのは秦では日常茶飯事です。
昭襄王の代には、宰相である范雎(はんしょ)もどうやら連座制で処刑されたらしいと最近になって分かってきています。
その領域に足を踏み入れるということは、これは一体どうなのかと。
・それを思えば、この「知恵者の企む術策とは言い難いといえる」という一文は何に対しかかっているのかって話になるでしょう。
寵愛を受けているグループが新参者の入る余地を残さないことだとも考えられるでしょうが。
私としては、そういう縄張りができたところに新参者を敢えて送り込むこと、それによって地位を確保したい、獲得したいっていうやり口が知恵者なら普通やらないよねーって言いたいんじゃないかなと思うわけです。
権力者に気に入られればそりゃ高位は手っ取り早く手に入れられるでしょうが。
でもそうした陥れられる危険に常にさらされることになります。
そうしたハイリスクハイリターンなやり方が、本当に賢明だろうかと。
そしてそれに対応している、「出してきたヤツは皆殺し」なんて法を出すヤツがどこまで賢明だろうかと。
というより、はっきりとアホだろと言いたいように思います。
・この人間社会一般がすべてそもそも出来合いの縄張りへの新参者の乱入だと言えます。
つまり「竜陽の寵」(りゅうようのちょう)として出来上がっているところへいかにして食い込むかという話になるでしょう。
殷の紂王(いんのちゅうおう)の下でも妃である妲己(だっき)に気に入られるかいなかですべてが決まっていました。
この竜陽君だって魏王に「美人を出して来たら皆殺しにする」と言わせたわけです。
そういう場所に行くこと、地位を手に入れることがいかに危険であるか。
もし行こうと思うのであれば、もっと賢く、身を危うくしない方法はないものか。
こんなにストレートでなく、短絡的ではない別の方法はないものか。
そしてそれをなぜこうも誰もがストレートなやり方でやるのかと、それをストレートに返されるのか。
そういう戦国策の作者か編者かわかりませんが、その人の嘆きか憤りのようなものが
「知恵者の企む術策とは言い難いといえる」
という一文に表されているように思えます。
・これ個人的に思うんですが、この話はさらに拡大していけば
「新参者を許さない→既得権益の利益はさらに増す」
ってことに繋がると思います。
魏も楚も斉も、中華統一は本来であればできたはずです。その余地は大いにあった。
ところが秦が中華統一した。
その根拠は何かと言えば、商鞅(しょうおう)が反発を恐れず改革を行い、それを秦が受け入れたからだと言えます。
商鞅についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E9%9E%85
魏なんて西門豹(せいもんひょう)や呉起がいました。
楚は追われてきた呉起を刑死させていますし。
斉では孫臏(そんぴん)がおり、一時期他国を圧倒しています。
呉なんかは孫武がいましたが、その後あっさり滅んでいます。
強国となるきっかけはどこにもあるのに、停滞が起こり、そして滅亡へと至っていると。
新しいもの、よいものを受け入れることがいかに難しいかってことです。
直接政治に参加しそうにない美人ですら、こうですから。
まして直接法を変える改革者がいかに煙たい者であるか。
そういう普遍的にある組織というものの体質、それに対する嘆き。
そういうものがこの一文に表されているように思えます。
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