みなさんいかがお過ごしでしょうか。
わたしは一応元気ですよ笑やらんといかんことだらけでいろいろなかなか遅々として進みませんわ笑
さてさて。
「意味がある」「意味がない」ってよく使われるフレーズですよね。
ここにある概念は、意味があるかないかでしかないと言えると思います。
イエスかノーか。あるかないか。「意味」という何ものかはそのようにして把握されているといえる。
同時に、そうした認識上以外には存在していないといえる。極めて貧相な意味のありようではないかと思います。
そこでは意味はあるかないかでしか捉えることができていない。
また、同様に重要なのはその判定をくだした者自身が意味を「ある」ことに意味を見出している、それがまた非常に重要なことだと思います。
意味はただ単に「あればよい」ものでしかないのか。それが種々の問題をもたらしていると思います。
そこで重要なのは意味の存在でしかない。
もっと言えば、そこで意味は存在してさえいれば良い。
意味自体の連関や多重性はそこではもとめられていないといえるでしょう。
簡単な言葉で平たく言えば、「意味のあるもの」ってのは本当に多いんですよ。
たとえば救急用品みたいなものを買い集めるとします。
絆創膏、ピンセット、包帯。
とげぬき、眼帯、胃薬。
そうして「意味のあるもの」が異常に増えていったとしても、それを扱い使いこなすことができるかどうかは全然それとは、収集すること自体とは別物です。
というより、あまりに増えた物量がもたらす事態は、必要なものそのものを探すのに余計な時間と手間暇をかけさせることに繋がるという場合があります。
そうなると、意味があって「良い」とされていたその判定自体が疑わしいと言える。この事態がもたらしているものは、間違いなく意味があるもののあまりの多さ。足を引っ張っているのはそこにある「意味」自体だと言えるからです。
したがってここでの結論は、「意味があるから良い」という疑えないそれそのものが悪いものである場合もあるのだということです。
そこで求められている意味が事態を悪化させていることが気づかれない。
というよりもはやそこは疑いを挟むようなものではなくなっているのでしょうね。
「意味があること」は、当然のように「いいこと」なわけですから。
「意味がある」ことはいいことの前提であり、同様に、いやそれ以上に「意味がない」ことは否定される根拠となり得るものです。
この時代は「意味がない」ことを極度に恐れ忌避する傾向がある。
他人から見て「え?これ意味なくね?」ってことをやっている人間って、それも一生懸命やっている人間って距離を置かれるんだと思います。意味が解らないから「きもーい」となって嫌われる。
「意味がない」ことは決して意味がないことを意味するものじゃなくて、ただ単に意味が解らないとか意味を理解できないことの方をより表していると個人的には思っているんですけれどもね。
事態の問題ではなく、その判定を下す者の認識の方を雄弁に物語るものだといえるでしょう。
「大きな穴の空いた虫網では虫は捕えることができない」
そんな感じですかね。
・ではどのように意味は捉えられるべきか。
わたしは「兵は四路五動に通ず」として意味を捉え直す必要がある、そして意味を整理し直す必要があると思いました。というか急に閃きました笑
どういうことか。
それそのもの自体、その事柄自体は一歩先で果たしてどのようになるのか?
一歩先で他の多様な意味と連関できるような意味の多重性を持ちうるならばそれは◎だし、一個くらいと手を結びうるならまあ〇かなと。
一歩先で手詰まりになるような手、もはや身動きができず自らの首を絞めるような手ならばそれは×です。それはそこでじっと留まることで意味を発揮するようなものとはまた違うわけですが。
そのようにして、そのこと自体が一体どのような意味を持ち、それがどのように他の意味と連関することができ、あるいは連関する可能性を持つのか持たないのか、そのようにして意味は把握されるべきでしょう。
・いや、モノを片付けられない人のリクツってのあるよなと思ったんです。
捨てられないモノってのは、確かに意味を持っている。
「いや、意味ないじゃん」という言葉では容易にそこは撤回されないものです。きちんとした意味があるわけですから存在理由といってもいいかもしれない。で、モノがそこにある意味は当事者にはきちんと把握されているものです。
ただ、それがあるべき場所にきちんとあって、使うべき時にきちんと取り出せること、つまいは整理整頓することによってそのものの価値、真価はより引き出されるということ、それが当事者には把握されていないというだけの話なんです。
「意味がある」「意味がない」の思考回路では、つまりはあるかないかだけが重要な世界ではそんな事情など蚊帳の外ってわけですね。
・ということで結論です。
「兵は四路五動に通ず」といいますが、意味もまた同様であるべきです。
「意味は四路五動に通ず」そうした意味合いで意味というものは捉え直されるべきものであるといえるでしょう。
そんなことをふと思ってみたある日の午後でしたよ笑
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