孫子③謀攻編3

ようやく50ページまできました笑
これでページの半分以上とばしてることを思えば、ものすごく遅いですが笑、まあ変わらずマイペースに行こうかなと笑



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そこで(そこでっていうのは2の話、戦争の上手い人が全すなわち無傷での勝利で、まったく疲弊せず得る勝利を得ようということを謀りごとで攻める原則だということを受けている)
戦争の原則としては、味方が敵の十倍であれば敵を包囲し、五倍であれば敵を攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、等しければ努力して戦い、こちらが少なければなんとか退却し、力及ばなければうまく隠れる。小勢であれば大軍に当たりがたいのが普通だからである。
小勢なのに強気でいるというのは、大部隊のとりことなるだけのことである。



至って普通にみえる何の変哲もないように見える文章ですが、しかしこれが普通になされるということがなかなかそう普通にはないことである、というのがわたしの印象です。
「敵が多い、少ない」その寡多によって敵と戦うことは合わせる必要があるし、いかに戦うかは工夫されねばならない。情報、実情に合わせていかなければならないし、まさか敵が合わせてくれるわけもないため、こちらでいろいろやるしかないわけですが。「じゃあこちらがいろいろと手を焼くしかない」これがなかなかに難しいことで。
「困難」と直面した際に、いかに手を尽くすか、どのような手を打つか、どのような手が効果的か、そもそも手を打つべきか、手を打つことなくとりあえず当たってぶつかってみるか、とりあえずがんばればなんとかなるだろう・・・そうしてなんら妥当な具体的な手立てを持つことなく「兵は神速を尊ぶ」とか「気合と根性で乗り切る」なんて場合が非常に多いと思うためである。事前にそうであるならばともかく、直面しても手立てをうつこともない。それを思えば、手を打つってことがいかに難しいことかがわかってくるかと思います。ましてその時々で最高の手を、妥当な手を打つこととなればどれだけ難しいのか。
具体的にそれをひとつひとつ考えていくだけでも、とてつもない能力だなと思います。現代社会がいかにすごかろうと、その場にいる大多数の人間がそこにメスをいれることなく、いやメスをいれることすらできずスルーする場合の方が圧倒的多数であることを思えば。



さらには「小勢なのに強気でいる」ということも非常に多い。先にあげた「なんとかなるだろう」精神もそうですが、それにのっかかった見栄などもある、豪気に振舞いたいがために強気な発言をしたりする、いろいろと先回りして考えることを「小細工」として潰す風潮も拍車をかけている。そうして劣勢であるにも関わらず、手立てを講じる時間や余裕は十分にあるにも関わらず、何もなされない。そうした場合が少なくない。最悪を防ぎ、より良い結果を目指す方向性がそのようにして閉ざされる場合が多い、極めてシンプルなより良い対応をするというこの一事が、たったそれだけのことがいかに難しいのか。いかに障害が多いのか。それをこのたった一文は如実に表していると思います。




しかしそれを思えば、人の能力を最大限に引き出すこと、それによって事態を最大限により良い方向性へと導くことがどれほど価値があることかは伝わってくるように思えますね。逆境であれば被害を最小とし、順境であれば利益を最大にする。悪い流れは少しでも食い止め、良い流れはより多く恩恵を受け取る。そのようにして事態を好転させる方向性にどこまで重きを置くのか。それができる人材をどこまで重用するか、その人の意見をどこまで聞くことができるのか。
そしてまたそれができないんですよね笑組織とか社会ってものがどれだけ習慣に縛られるか、好転させることに興味がないか。


秦の商鞅(しょうおう)だかは言ってましたが、
「変えるから良いというものではなく、変えないから良いというものでもない。
良くするということが大切なのだ」
これは本質を突いていると思います。習慣に従うことも、変えることも結果的な「良さ」を目指しているはずなのに、つい我々は「習慣か、変化か?」ということにとらわれたりもしてしまう。「結果よりも過程」と言いながら本質とは関係のない枠組みにとらわれてしまう。そうして結果的によくなることを目指しながら、なかなか本質的な手を打つことができない。



これを踏まえて、例えば寡兵で大敵と戦うとか、敵の侮りと油断に乗じて最大の効果を得る、というような方向性になるんでしょうけれども、残念ながらその前々々段階の話でしたね。
「小勢でありながら強気でいる」話でした笑






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