ようやく作戦編に入りましたよ。重い腰を上げて笑
計編、作戦編ときてこれからどうなるのかなと思ってみましたが、この調子で13個あるようですね。つまり2/13てわけですね。
先は長いなあ。
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孫子はいう。戦争の原則としては戦車千台、輜車車(しちょうしゃ、補給用の車)千台、武具をつけた兵士十万で千里の外に食料を運搬する場合には、内外の経費、外交上の費用、武具の材料、戦車や甲冑の供給などをして一日に千金もの大金を費やして初めて十万もの軍隊を動かせるものである。したがって、そうした戦いをして長引くと言うことになれば軍を疲弊させて鋭気をくじくということにもなる。その状態で敵の城に攻めるということになれば戦力も尽きてなくなる。だからといって長い間露営させておけば国家の経済が窮乏する。
そうして軍も疲弊し鋭気も挫かれ、力もつき財貨もなくなったとなれば、周辺の諸侯などもその困窮につけこんで襲い掛かってくる、たとえ智謀の人がいたところでとてもそれを防いで切り抜けていくことなどできない。
だから戦争に拙速はあれど、巧久という例はない。つまり、まずくとも素早く切り上げるというのはあるがうまくて長引くという例はないのである。戦争が長引いて国家に利益があるという例はあったためしがないのである。
従って、戦争の損害を知り尽くしていない者に戦争の利益を十分知り尽くすことはできないのである。
・さて。上記の話ですが現代ではちょっと様相が違ってきているのかなと思います。二次大戦だってアメリカは深刻な不況があった、人減らしが必要だったとすれば戦争ほど人を減らせるものはないし、戦争需要でものは作れるしで戦争は経済的にはけっこうなプラスだといえるのかなと。現代だってアメリカは銃への恐怖と他者への不安でどんどん銃を持つ、隣人がどんどん銃を持つから怖い、怖いからこちらも銃をもつ、銃を持てばさらに怖くなり・・・そうした人々の不安に付け込んだ銃の需要があり、それによって儲けている人々がいる。
彼らは言うわけです、「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と。でもその正論をまともに聞いていたら本質を見誤ってしまう。銃がここまで広まって一体誰が得をしているのか。人が銃によって死ねば死ぬほど、苦しめば苦しむほど「誰かが」得をする構造がある。麻薬だってそう、人が破滅し苦しむだけ自分の懐には大金が転がり込む・・・。
ちょっと話が逸れつつありますが、かつては財力、物資、人力は力だった。もちろん今も基本的にはそうだけれども、ちょっとだけ、いや大分様相が異なっているとはいえるのかなと。
・古代中国でも、特に戦国策とか見ていると人の足を引っ張ると言う事例は数多く見受けられます。名将がいる、素晴らしいことだとは一概には言えない、その名将が自分を影に追いやっているとも言えるわけです。だから名将にいてもらわなくては国が滅ぶけれども、名将がいては自分に光が当たらず、結果自分が滅んでしまう、あるいは成長することなく影の存在で終わってしまう。そうしたバランスってのは常に見受けられますね。
・司馬懿(しばい)は味方である張郃(ちょうこう)を謀略にはめて殺害します。わざと蜀の罠を知りつつも追撃させて殺す。後々の権力争いになりそうなライバルたちをわざとはめて殺害する。そうして後々自分の立ち位置を有利にするように持っていく・・・。魏国としては猛将張郃を失うことは大きな痛手ですが、司馬懿個人としてみると大いなる得であると言える・・・
特に司馬一族が魏を倒して晋を立てたことを思えばなおさらですね。
・人も、物もですが消費され、いや浪費されることが他人にとっての利益であった面というのはあるなと。人の歴史というのはこうした権力争いや足の引っ張り合い・・・そこでの巧さってのが常に問われていた面がある。一般的には「淘汰」というんでしょうけれども。
・こうした個人の利益を越えたところに「国益」というのを考えなくてはならないのでしょうし、だからこそ、こうした論の土台は「個々人の利益=国益」であるということは指摘できるのかなと。
そして個々人の利益≠国益である場合にどこまで発展を望むことができるのか・・・。
・前提として、油断してもけっこう大丈夫な時代になったってことは言えるんでしょうけどね。隣に敵がいれば油断や隙はすなわち滅亡に直結する。でもいまの時代隣に敵国がいないこと、また仮に隙を見せたところでいきなり大義名分もなく攻め込んでくるような事はまずあり得ないという時代背景の違いは大きいのかなと。
・直接は書いてはないわけですが、維持費・・・維持費用ってのはここでは重要なことなのかなと思います。戦争による損害と利益・・・それを測る一番の目安は維持費ということに尽きるでしょうから。どれだけの維持費がかかり、その結果どれだけのプラスがあるのか・・・そこにあるのは一日あたりの維持費ということになるなと。維持費というものがあり・・・そうして総計としての損害と利益を測る、そうした方向性を孫子は言おうとしているのかなと思ってます。
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