5つの事柄で、前回は道についてひたすらだったんで次は天地将法について書きたい。が、正直あまり天地将について書くべきことがないという笑
ただ、もしもオレの感想だけをここで上げるとするならば。
「天の時、地の利、人の和」なんていうわけですが、これはあまりにもこの天地将とは違っているなという印象で。
天の時は、いわば時期とか好機到来なんて意味なわけですから、この天とはあまりに違っている。この場合の天が言おうとしていることはもっと即物的な話、気温や時節、その巡り合わせに過ぎないわけですから。まあかぶっている部分がないとは言えなくもないが、かといって一致しているとは言い難い。
「天の時」ってのは道で示された「機運」のほうが近いんじゃないですかね。機運は、いってみれば「天の時の演出」だともいえるかも知れない。
・地はまあ特に書くことないのではしょります笑
・将も「人の和」とはかなり違いますよね。
将・・・将軍の才知や威信、仁慈や勇敢さや威厳のこと。
ここに「みんな仲良く」的なものや、それによって組織される歯車的な組織といったものはあまり意識されていないんじゃないかなと。
・ただ、法についてはかなり意外だと言えるのではないかなと。
後の秦による中華統一ってのが法の絶対視から成り立っているところが非常に大きいことを考えると、この孫子の事柄の第一が「法」であっても不思議ではないし、または「一にも二にも法である」なんて書いてあったとしても全然不思議ではない。仮にそう書いてあったとしても不思議ではないのにここでは事柄の五番目の位置でしかないってのが、はてこれをどうみるべきなのかなと。
「ものすごく先見性はあったかもしれないが、法思想を軽んじているところからするとまだまだ未熟」とみるか。
「これだけ早い段階から法を視野に入れているこの先見性と合理性よ」とみるか。
ここはまだまだ議論される余地が大いにありそうだなと思えますね。
で、続きですね。
これらの5つの事柄将たるものは誰でも知っているが、それをより深く理解しているものは勝ち、深く理解していないものは勝てない。
それゆえ、深い理解を得た者は7つの目算で比較してその時の実情を求めるのである。
すなわち、
①君主は敵と味方のいずれが人心を得ているか。
②将軍は敵と味方といずれが有能であるか。
③自然界の状況と土地の情況はいずれに有利であるか。
④法はどちらがより守られているか。
⑤軍隊はどちらが強いか。
⑥兵士はどちらがより訓練されているか。
⑦賞罰はどちらがより公明正大に行われているか。
わたしはこれらによって、戦わずして既に勝敗を知るのである。
ここで計編の一ようやく終わりです。
それぞれが5つの事柄である道天地将法に則ってるなあってのはなんとなくわかりますね。
でもこれ、
①道
②将
③天と地
④法
⑤法
⑥法
⑦法
って感じですよね。
ああやっぱ法を大切にしとるんかなあという印象ですね。
ここにきて法法法法とは笑
でもつまり孫子が言いたいことはここでより良く伝わるのかなと。
孫子は法を絶対視しているというわけではないということですね。
確かに法は便利なものだしとてつもない力を持っている、しかしそれだけではダメだといってますね。
法以外にもいろいろな要素はあるのだと。
道、天、地、将。そうした要素を加味した上に法はあるのだと。
法のみで成り立つということはない。
機運をそうなるように仕向けたり、今の季節はどうなのかを考慮する。
はたまた地の利はどうなのか、守備に有利か攻撃側に有利かここは平原かといった要素を考える。
そしてどのような将軍がいるのか。そうした多種多様な要素がある、そうした諸々の前提を抜かして「法」というのはどうなのだろうかという立ち位置ですね。
・ここって重要なところじゃないのかなと思いますね。
後世の秦に商鞅(しょうおう)という人がいるんですが、この人は秦の中華統一に大きく貢献した人物、むしろ彼がいなかったらどうなったかわからないというほどの影響力を持った人物です。
この人は徹底的に秦に法の思想を持ち込んだ。
だからこそ秦は強国になることができたわけです。
法を破る者には徹底的な厳罰を示したため、誰も法を破ることができない。
そうして商鞅自身が破滅することになるのですが、彼の破滅も行き過ぎた法の支配によるものだと言っていい。法の徹底と法を破ることの厳罰化とが彼を秦から亡命することを阻害した。彼自身めっちゃ後悔していますが、まあそりゃそうでしょう。
で、その後も秦は中華統一まで大躍進できるわけですが、ところが統一してたったの15年ちょいで滅亡しています。中華全土であまりに厳しい法の支配に耐えかねたってわけですね。
・商鞅は確かに大成功した、それにも関わらず大失敗している。
ここは重要なところではないのかなと。
「法」の効果にあまりにも商鞅自身が魅せられてしまい、その威力にまさか自分自身まで滅ぼされることになるとは思いもしなかった。自分に矛先が向いて初めてこれはまずいものだと気づいたってわけですね。
秦というこの国、法の思想の有効性、商鞅の人生。
この三つから学べるものはまだまだ多い、それにも関わらずまだまだ汲み尽されていないといえるでしょう。
・いやむしろこの現代ってのはまさに秦だし、法だし、商鞅なんだと思いますよ。
法がいかに便利で、有効で、素晴らしいか、その効果を良く知っているし熟知している。
それにも関わらず使いこなすことができない、むしろ法に振り回されてすらいる。
そしてこの現状に沿って進めば、間違いなく末路も一緒です。
「歴史から学ぶ」ってのがいかに難しく、できないものか、そしていかに現代人にセンスがないかですよ、
あ、つい愚痴がでた笑
ま、今日はここまで。
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