孫子を開いてみたらあまりにおもしろかったんでまあちびちび読んで見ようかなと笑
計編
孫子は言う、戦争は国家の大事である、国民の死活が決まり、国家の存亡の分かれ道であるからよく熟慮せねばならぬと。
それゆえ、五つの事柄で考え、七つの目算で比べて実情を測るのである。
①道・・・人々を上の者と同心にならせる政治のあり方であり、そこで人々は初めて死生をともにすることができるのである。
②天・・・陰陽、季節、時節などの自然の巡り合いのことである。
③地・・・距離や険しさ、広さや高低といった土地の状況のことである。
④将・・・才知や威信、仁慈や勇敢さ、威厳といった将軍のこと、人材のことである
⑤法・・・軍隊編成の法規や官職の修め方、軍制のことである。
これら5つのことを将軍たる者は誰でも知っているが深く理解している者は勝ち深く理解していない者は勝てない。
・・・まずはここまでを噛み砕いて考えたい。そもそもなんでこの5つなのか、他にないのか、あるんじゃないのか、かなりいい加減な区分じゃないのか、いろいろ疑問は尽きないところではあるのだけれども。
①道について
単純に考えれば、そういやあこんな話があったなあという話を持ってきてとりあえず当てはめることはできるので、とりあえず当てはめてみるわけである笑
かつて楽毅という将軍が燕から斉に攻め入って二城を残して全て取ってしまった。
斉はもう滅亡寸前、そこで田単という将が斉軍を率いることになるのだが田単はまず燕に流言を流す。
「楽毅が残り二城を落とさないのは、自ら斉王として立とうという野心があるためだ」
こうして楽毅は解任され、趙に亡命し、新しい司令官が来る。
こうなればもう燕軍などおそるるに足りず。斉軍はここで勝機を掴んだわけです。
ここで田単が次に取った手は、「とある兵士に神が降りる」演出ですね。
「近々、斉軍に神が舞い降りるらしい」と言ううわさを自軍内に流す。
田単というぽっと出の将軍が何を言ったって誰も聞きゃしない。だけど神が舞い降りその神が言葉を言うとなればまったく違うというわけですね。その状況を作り出していったわけです。
その次に田単が打った手は、またしても噂ですね。
「斉軍は捕虜に虐待されることを恐れているらしい」
「斉軍は、先祖の墓を暴かれることを恐れているらしい」
このふたつの噂を燕軍に流す。すると燕軍は早速捕虜を見せしめとして鼻削ぎの計にし、墓を次々に暴き始めた。先祖の墓を暴かれて斉軍は一致団結し、燕許すまじという機運が高まった。
こうして、いってみれば田単は「道」を形作って行ったわけですね。テキトーにでたらめにただ手を打っているわけではない、ちゃんと沿うべきものがあったってわけですね。
まあこれはとりあえずそれっぽい話を単に「当てはめて見たに過ぎない」わけですから、応用が利くようなものではないし、これじゃあちょっと応用は利かせられないかなと。
もうちょっと掘り下げていきたいわけです。
・でも多分孫子を探究している人も記事もものすごく多いと思うんで、別に普通にいったって何もおもしろくはないかも知れん。オレはこう思うというその主観性を頼りにいくことが恐らく唯一絶対の独自の見解になるんだろうなあと思うので、気が向かん限りは好き勝手に書きなぐって行くスタイルでいきたいなと。正統派なんかいくらでもよそにあるし、研究し尽くされた分野だとも言えると思うので。
・例えばの話、三人で焼肉に行くか寿司に行くかという選択があったとする。
オレは焼肉がいいと思うが、二人は寿司に行きたい。そういう時どうするかですよ。一体どのような手を使って二人を説得するか。ここに孫子が言いたいことが現れてくると思うんですね。
・ひたすら駄々をこねる
恐らく最低最悪の手。「やだやだ!オレは今日は寿司じゃなくて焼肉の気分なんだい!」とひたすら駄々をこねる。恐らく二人の気のいい友人は、「わ、わかったよ・・・」と言いながらオレの駄々に付き合ってくれるに違いない。しかし、お気づきのことと思われるがこれは策の中では下策も下策。信用を失い、今後の友人関係の深刻な亀裂となりかねない下策の一手である。恐らく誰もしないに違いないが。
・筋を通す
いかに焼肉のたんぱく質が身体にいいのかを徹底して説明し尽くす。もしもその弁舌のレベルが、寿司の方が絶対に身体にいいはずだろうというその認識と戦って勝つだけのレベルであれば、理屈で持って互いの意見を議論し納得がいくまで話し合うという方法もある。というよりなくもない。もちろん相互の理解が深まるのは間違いないし、話し合ってよりよい結論に至り納得した状態で次の段階進むことができるのは大きなメリットである。ただし、筋を通すことによって関係が多少なりともギクシャクするのは否めない。関係性が筋のみでなっているものではなく、雰囲気や空気、信頼関係によっても成り立っていることを意識せずに筋のみを押し通すと大概最終的にはあまりいい結果が待ってはいないものである。筋はあくまで仕事において通すべきであり、プライベートで通すべきものだとは言い難い。ただそういう方向性もなくはないよという話である。
・機運を意識する
恐らく戦国策や、田単将軍の例などを引き合いに出すと、「機運」と言うものが意識されているように思われる。機運とはなにか。誰もがそういう方向性に自然と向かい、そこに違和感がない。そうした方向性に皆を知らず知らずのうちに向かわせる。機運というものを作り出そうとする動きが漠然と・・・しかしはっきりとした形であるのがそうした例ではないかと考える。
具体的にこの例で表すとすれば、例えば寿司に行くと一応は同調する、しかしこの現在地から寿司屋までの間に焼肉のにおいが立ち込めるようなスポットがあることを予め知っているとする。そして敢えてそこを通るように仕向ける。そこを通りがかって自然と「ああ、肉の香ばしいいい匂いだなあ」と皆が思うように仕向ける、あるいは声に出す。
で、「なあ・・・やっぱ焼肉にしようぜ」と提案する。ここまでできるような状況もそうそうないとは思うものの笑、まああくまで例なので。
その提案にはいやらしさもなく、無理もない。筋を押し通すわけでもなければ駄々をこねるわけでもない。いたって自然である、ただもしも「最初からそういう魂胆だった」ということがバレると「こいつ・・・頭はいいかも知れんが狡猾な一面があるな」という印象を与えかねない。
・事実、戦国策1の新妻を妻がはめる話といい、田単の話といい、確かに結果としてそういう方向性にもっていったというその手腕は素晴らしいという他ない。しかしこうして現代の視点から見るとその工作の「狡猾さ」というのがどうしても目に付いてしまう。
とりあえずその「ずるさ」とか「狡猾さ」は・・・まあ目につくのは仕方がないにしろ、とりあえず横においておいてその「機運」に向けた工作とその結果というものを見ていくことが大切なのではないかなと。
下手したら「バレなければ何をしてもいい」になりかねない恐れはある、しかしだとしてもこうしたものを見ていくのは大切なのではないかと考える。
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