戦国策10、趙の太后と触竜の話 改



 ・20210618金
 最近新たにまたやりました。内容はそこまで変わりませんが。このページは分かればなんでも良しという意訳重視ですが、こちらのページは一応原文に(多少は)忠実にやろうとしてます。よろしければ参考までに。



 趙の太后が政治を行うことになったときに、秦が急に攻めてきた。
 趙は斉に援軍を求めた。
 斉では、
 「それでは趙太后の長安君を人質としてもらいたい。そうすれば軍を出そう」
 と言った。

 太后はこれを承知しなかった。
 臣たちが強くいさめたが、太后は側近の人々に言いつけた。
「これ以上まだ長安君を人質にしようなどと言うものがいたら、その者の顔につばをかけます」



 ①そこへ左師(さし、老臣の名誉職)の触竜(しょくりゅう)が
 「太后にお目通りを願います」
 と言ってきたので、太后は怒りながらも待った。


 触竜は入ると小走りし、座に着いて謝して言った。
 (※注:古代中国には王や皇后などの偉い人をできるだけ待たせないために、地位の低い者は小走りして謁見し、できるだけ待たせないようにするという習俗があったようである)

 「この老臣は足の病にかかりまして、素早く小走りして礼をすることができず、久しくお目にかかることができませんでした。
恐れ多いことですが、私の身から考えますに、もしや太后様のお身体もお疲れなのではないかと考えまして、こうして参った次第です」

 太后は
 「この老婦も、手車が必要ですよ」と言う。
 触竜「食事の量など減ってはおられませんか」
 太后「まったく最近は粥(かゆ)ばかり食べておりますよ」
 触竜「この老臣などは、近頃はほとんど食欲がございません。
 そこで努めて一日三、四里は歩くように致しましたところ、少しは食が進むようになり、体調も良くなってまいりました」
 太后「この老婦にはできないことです」
 太后の不機嫌は大分和らいだ。
 そこで触竜は言った。



 ②「ところで、この老臣のこせがれの舒祺(じょき)は末っ子で不肖の子ではありますが、この老いぼれにはこれがかわいくてたまりません。
 なにとぞ衛士の数に入れていただき、王宮を守らせてやっていただけたらと思いまして、死罪を覚悟でやってまいりました」
 太后「わかりました。歳はいくつになります」
 触竜「15歳です。年少ではございますが、この老臣が溝のゴミとなり果てて死ぬ前にお願いしとうございます」
 太后「まあ。男でも末っ子はかわいくてたまらないものなのですか?」
 触竜「ご婦人方以上でございます」
 太后は笑って、
 「女の末っ子に対する溺愛は、それはもうたいへんなものですよ」と言った。


 触竜は続けて言った。
 「この老臣は秘かに、太后様の燕公様へのかわいがりようは、長安公以上かなとお見受けしておりましたが」
 太后は言った。
 「それは間違いです。長安公ほどではありませんよ」



 ③触竜
 「父母が子を愛します場合は、その子のため先々までの計画を立ててやるものです。太后様が燕公様を送り出されました時には、おすがりになってお泣きでした。遠方へ嫁いで行かれるのを案じ、お悲しみになっては可哀想にと言っておられました。
 嫁がれて後も愛おしくお思いにならないことはございません、御祭祀には必ずお祭りになり、決して燕から帰されてくることなどないようにとお祈りになっておいでです。
 つまり、久しく御子孫が絶えることのないように、相次いで王となるようにと、先々までの計画をたてておられるようにお見受け致しましたが」
 太后
 「その通りです」



 触竜「趙が建てられた時までさかのぼってみて、趙主である趙簡子・趙襄子(ちょうかんし、ちょうじょうし)の御子孫で候となった方で、世継ぎが今日まで続いている家がありましょうか」
 太后「ありません」
 触竜「趙だけでなく諸侯の間に続いている家がありましょうか」
 太后「聞いておりません」




 ④触竜
 「それはなぜかと言えば、禍いが起きた場合に、近い場合には候となったその人自身に及び、遠い場合にもその子孫にまで及んだためです。
 子孫が決まって誰も善人でない、などということはありません。
 位は高いのに功がなく、俸禄は多いのに働きがない。
 しかも財宝をおびただしく所蔵しているからなのです。



 今、太后様は長安君の位を高くなさって肥沃な土地に封じられました、たくさんの財宝もお与えになられましたが今日まで長安君に勲功を立てさせておいでではありません。
 太后様に万が一のことがありました場合には、長安君は何によって趙に身をお託しになるのでしょうか。
 この老臣は、太后様が長安君のためになさる計画は目先だけのことと思いまして、御愛情は燕公様ほどではないなと考えたのであります」


 これを聞いて太后は言った。
 「わかりました。そなたの思うようになさい」
 かくして長安君は車百乗とともに人質として斉へ送られ、斉の援軍が出陣したのである。



 子義がこれを聞いて言った。
 「王の子は、王と肉親の関係にある。
それでさえも功績なくしてついた地位、労せずして受けた俸禄にただ安閑として金玉財宝を守っていることは許されないのだ。
人臣足るものはなおのことである」
 と。



 ずいぶん長い話ですが、触流の話の巧みさがよく伝わる話かなと。
 ①~④と四つに振り分けましたが、起承転結と考えてもいいのかなと。
 ①太后の機嫌をとるために世間話をするわけですね。もしここがなければ太后は話に食いついてこなかったに違いない。その導入としての意味合いでは不可欠だと言えるでしょう。



 ②ここで自分のこせがれへの溺愛ぶりを披露するわけですが、これは太后の子どもである、燕公と長安君へと話を持っていく部分ですね。
 触流の頭の中には図式が出来ているわけです。
 太后の愛情は「長安君>燕公」であるが、
 太后がより考えているのは「長安君<燕公」であると。
 お嫁に行く前は心配し、行った後も帰されはしないかと心配し、そんな事態にならないように祈っている太后自身がその燕公の先々を具体的に祈っているわけです。
 行く前、行った後、その後の行く末。ちゃんと太后はひとつずつ具体的に考えている。



 ところが長安君のこれからについては太后は何も考えていないわけです。とりあえずいい土地と爵位、金銀財宝は与えた、以上という状況。
 そこを触流はつつくわけですね。
 なにもしていないけれど、王族というだけで安穏と暮らしていける。
 でももしも何かあった場合には?真っ先に長安君は槍玉に挙げられるに違いない。
 その意味では王族とはいえ何もしなくていい権利を持っているわけではない、むしろたくさんもっているいからこそ責任が本来あるのだと触流は言うわけです。
 だからこそ「本当に長安君を愛しているのならば、功績をたてさせてやるべきだ」というわけですね。しっかりと働いた、斉に人質として行った。
 そうして初めて「持つ権利が生じる」触竜は言うわけです。後顧の憂いなく、後腐れなく生きて行くことができる。
「かわいい子には旅をさせよ」とはちょっと違うかもしれませんが、本来はこうした意味合いのほうがあったんじゃないですかね。
まさにこの話は「かわいい子には旅をさせよ」ですね。


 戦国策7には、
 威后が斉王の使者を諭す話

 というのもありますので、一応参考までにこちらにリンクを貼っておきます。

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 20200209追記

 ちょっと見にくいなと感じたのでいろいろ編集しました。

 この「趙の太后」(ちょうのたいこう)の話もこれ以外もですが、現代語訳、直訳はあまり意識してません。

 かなり意訳の方に傾いていると思いますが、話の大筋が分かってナンボだと思ってますのでけっこう自分の気に入るように崩してますし気にしてません。




 ということで、今回はこの趙の太后と長安君周囲をちょっと掘り下げてみようといろいろ調べてます。



 ・長安君についてはこちら


 まあ「孝成王の弟」としか出てませんが(笑)



 ・ということで孝成王についてはこちら




 どうやら、

 武霊王(ぶれいおう)

 →恵文王(けいぶんおう)

 →孝成王(こうせいおう)

 →悼襄王(とうじょうおう)

 →幽繆王(ゆうぼくおう)

 となって趙は滅亡するようです。

 となると、長安君は末っ子ということですから、その母と考えると恵文王の妻がこの話の「趙の太后」なんだろうなと特定できそうですね。

 もしくはこれが外れていたとしても、恐らく悼襄王が幼い時に代わりにやっていた……つまり祖母だけど権力を持って政治をやっていた、と考えられなくもない。

 「趙の太后」って漠然とした話ですがこう考えると大体は特定できそうです。

 恐らく趙の威后で間違いないのかなと。



 武霊王は胡服騎射を取り入れて趙を軍事大国にしましたし、恵文王の時代には廉頗(れんぱ)や趙奢(ちょうしゃ)といった名将がおり、秦に対してもそこまで引けを取るほど弱いわけではないですので、この趙が援軍が必要となるほどの事態となると、まあ妥当なのは長平の戦い以外には考えられないですね。



 ・長平の戦いは紀元前260年ということで、趙は孝成王の代に秦に大負けして趙兵50万くらいが死亡し、趙の滅亡に繋がるってわけですね。

 長平の戦いはこちら






 でもこの戦いの直後に、再び秦から趙は攻められていますが、この時は趙の平原君は魏の信陵君と親戚関係なわけで、それが元になって魏から趙へと援軍が送られているわけです。

 そうなると敢えて斉から援軍を出してもらう必要があるのか? となります。援軍なんて魏でいいじゃんと。

 ここには恐らく何か含みがあると考えられます。

 今まで通りではなく魏ではなく斉に頼った。

 秦の「西帝」に対するに斉の「東帝」ってわけですから、とにかく強いイメージの斉に頼っている。

 何かがあると考えられます。



 ・ここで魏の安釐王(あんきおう)についてはこちら



 これを見ると、秦の白起将軍によって魏も15万の兵士が殺されており、信陵君が趙へ援軍として行ったにしても魏も決して無傷ではないどこ

ろか非常に大きな痛手を被っているのがわかります。

 とにかく白起がヤバかったと。

 そして魏の信陵君を排除するために様々な手を打ち、とうとう信陵君は酒浸りになり死亡した、その18年後に魏も滅亡したと。

 この信陵君と平原君が親戚だったので、趙は援軍を送ってもらえてなんとかもっていたわけですが。

 紀元前243年に信陵君も死んだわけですね。

 この時点でまだ生きているか否かは判断がつきませんが、とにかく言えることは魏は大変に弱っていたと。






 ・秦の昭襄王(しょうじょうおう)についてはこちら


 白起が長平の戦いで勝ってから、翌年に王陵(おうりょう)、その翌々年に王齕(おうこつ)が趙を攻めていますがいずれも大敗しています。

 秦から兵が出た、というのは恐らくこの流れなんだろうというのはわかりますが、それ以上詳しいことはわかりませんので、またちょっと調べてみようと思ってます。

 とにかく、この時の趙は他国から援軍を出してもらわないと生き残れない状態だったんだろう、で魏や斉から援軍を出してもらってたんだろうなということで今回は終わります。






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