戦国策9 庸芮が、秦の宣太后の無理難題から魏醜夫を救う話 改






 秦の宣太后は魏醜夫(ぎしゅうふ)という男を寵愛していた。
 太后は病んで死にかけた時に、
 「私を葬る時には魏子を殉死者とせよ」という命令を下した。魏子はもう気が気ではない。
 そこで庸芮(ようぜい)という男が魏子のために太后に説いた。


 「死者に知覚があるとお考えですか」
 すると太后は、
 「いや、知覚はなかろう」と言った。
 庸芮が言うには、
 「太后の英明なる御霊にて死者の知覚には知覚がないのでしたら、どうして生前ご寵愛の男を知覚のない死人の傍らに葬るなどという無意味なことをなさるのですか。
 また、もしも知覚があるのでしたら先にお亡くなりになった王がもう久しく怒りを積みに積んでおられます。
 太后は罪科を繕われるのに精一杯で、魏醜夫と仲良くするお暇などどうしてございましょう」

 ここで太后は「わかった」と言い、ようやく思いとどまったのである。


 ・庸芮(ようぜい)が人助けをした話。
 完全に魏醜夫以外誰も得をしていない。弁舌の立つ人間がこうしたことをした例のほうが珍しいのではないかと。太后もアホだが、まあこの時代殉死は当然のようにあったわけだから太后のことばかりを責められないだろう。
 これで庸芮がたくさん報奨金をもらったと見るか、はたまた完全に義理のためにやったことか。それを区別することは難しい、しかしこんな話が残っていること自体がどうも「純粋に他人のためにやった」稀有な例だと考えてこうして残されているんじゃないかなと。どうも戦国策といい史記といいそうした編纂の方向性があるようだから。


 ・理屈を並べる庸芮だが、一番の見せ場は死んだ王のことを引き合いにだしたところだろう。仮に知覚があるとしたら、死んだ王が怒りに怒っており、へんなことをする間もない。太后はさぞギクリとしたことだろう。




 ・宣太后の弟、魏冄(ぎぜん)という男が秦の要職についていた。昭襄王はまだ幼く、実権は母である宣太后と魏冄とが握っているに等しかった。魏冄は独裁によって強圧的に秦をまとめあげたが、しかし自分で戦地に赴くこともある文武両道の将軍だった。しかしその状況が続いていき、形だけの王でしかないという昭襄王の悩みは尽きなかった。
 ここへ范雎(はんしょ)という男が登場する。この男は王の悩みを見透かしていた。
「この国に王などいるものか、いるのは太后と穣侯(魏冄のこと)だけだ」と言い放つなどしたが、王はそれを不問として范雎の話を聞くことにする。
 范雎はここで遠交近攻策を説いた。
 今、秦は韓や魏と組んで遠い斉を攻めようとしているがこれは間違いである。
 斉などの遠い国と仲良くし、近い国である韓と魏を滅ぼすべきですと王に告げる、その魂胆は范雎の過去の恨みが魏にあったからなのだが、それはここでは触れない。


 ・この献策が功を奏して范雎は王からの信任を得る、そして言うのだ。「太后と魏冄から権力を奪うべきです」こうして魏冄は解任された。魏冄の一族の栄華は王を遥かに凌いでいたが、その栄華もここで潰えることになる。

 とりあえず今回はここまでとしましょうかね。



 20190325追記。
 ①太后の英明なる御霊にて死者の知覚には知覚がないのでしたら、どうして生前ご寵愛の男を知覚のない死人の傍らに葬るなどという無意味なことをなさるのですか。
また、
 ②もしも知覚があるのでしたら先にお亡くなりになった王がもう久しく怒りを積みに積んでおられます。
太后は罪科を繕われるのに精一杯で、魏醜夫と仲良くするお暇などどうしてございましょう


 ①については非常に筋が通った話であるといえる。
 だけど人は、理屈の通った話、筋の通った話ってのを毛嫌いする面がある……ってのは普遍的にあることのような気がする。ある意味、「あれしろ」「これしろ」と絶対的な地位から言う、命令する、それだけの権力があるってのが上であるということだともいえるわけだから。話す余地はないが、命令を一方的に下すことができる関係性はあるってのが上下関係、特に古代の上下関係には濃厚にあるように思われる。その意味では「聞く」ことができることがすでに非凡さを示していると言えなくもない。とはいえそれは「角が立つ」ことでもある。普通に話しているように見えるがそれは決して普通ではない。
 ②はその上でジョークを交えているわけだ。


 ①にあるキツイ理屈だけではなかなか納得できないが、かといって②だけでも説得は難しい。②をうまく飲み込ませるために①を提示している。
 けっこう高等テクではないか、いいバランス感覚があるのではないかと改めて思ったわけである。


 20200317追記
 秦の宣太后(せんたいごう)についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E5%A4%AA%E5%90%8E

 昭襄王の母であり、恵文王の妻であると。
 後に昭襄王が范雎(はんしょ)を採用するわけですが。
 この時范雎は「太后様と魏冄(ぎぜん)を追放し、王権をまとめた方がよい」と助言したことによって、二人は実権を失い追放されることになります。
 昭襄王に関してはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E8%A5%84%E7%8E%8B_(%E7%A7%A6)


 ・少し後の時代ですが。
 嫪毐(ろうあい)というニセ宦官が秦の宮廷に入ることになります。
 嫪毐についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%82%A4

 これは呂不韋(りょふい)の差し金ですが。
 「巨根がウリの男」が宮廷に入り、その当時の太后を楽しませることで権力を握ります。
 才能や武勇や役に立つといった点ではなく、そうした基準で宮廷に入れるとすれば秦の宮廷、非常にユルイですよね。


 ・魏醜夫という男が宣太后に寵愛されていた理由はわかりませんが、一緒に殺せと言われるくらい溺愛されていたとするならまあ何か事情があったのでしょう。まあそもそも宦官かどうかもよくわかりませんが。役に立つ立たないということと気に入られることとはいろいろ事情が違いますよね。
 この話の場合は、ヘタに寵愛があり過ぎるがゆえに「一緒に死ね、てか殺せ」といきなり言われてビビることに繋がります。寵愛の有無も良しあしというか。
 結果的に命が助かったからよかったものの、そうしたところも見どころの一つと言えるのではないでしょうか。





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