戦国策1、楚王の妻が新妻を巧みに駆逐する話 改
魏王が楚王に美人を贈り、楚王はたいそう喜んだ。
楚王の夫人(鄭袖、ていしゅうと言う)は王がこの美人を愛でているのを知ると、たいへんに可愛がった。
衣装なども彼女の好みを尊重し、住居も寝具も合わせてやって、そのかわいがる様は王以上のものであった。
楚王はこれを見て言った。
「婦人は夫に容色によって仕えるものである。そうなると嫉妬も自然の情である。
あいつは私が新しい女を気に入ったと知ると、そのかわいがり様は私以上である。
これはまさに孝子が親に尽くし、忠臣が君に仕えるが如しだと言える」
夫人は、楚王が自分がその女を嫉妬していないらしいと思っているのを知ると、新婦に言った。
「王はあなたの美しさを愛でておいでですが、あなたの鼻はお嫌いのようです。
そこで、王に会うときには必ず鼻を隠すようにされてはどうでしょう」
新婦は言われたとおりにした。
王は夫人に言った。
「一体なぜあの女は私に会うとき必ず鼻を隠すのだろうか」
夫人
「私にはわかっております」
楚王
「なんだろうか。言っておくれ」
夫人
「どうやら、王のにおいを嗅ぐのを嫌ってのことのようです」
楚王
「許せんやつ。
やつを即刻鼻切りの刑にせよ。
有無を言わせてはならん」
・楚王のところに元からいた妻が、謀計によって新しい妻を排斥したという話である。
この話は手が込んでいる。
嫉妬の感情が妻にないわけではない。ただしその感情をストレートに出せば「また女の嫉妬か」「見苦しいな」で終わるところをこの女は機知で乗り越えるのである。
決して話は短絡的ではない、しかし分析すればその短絡的なところをただそう見せずにやりきったというだけの話でしかない、しかしそこをうまくそう見せないでやりきるところに巧みさがある。そして賞賛される素地があるのである。
・まず妻は新しい妻にたくさんの贈り物をする。楚王は褒める。「その行い、まるで忠臣が主君に仕えるかのようである、素晴らしい」
ここで妻が行った操作の意図は、
「新妻に自分を信用させる」
「楚王に自分を信用させ、嫉妬の感情がないことを示す」
この二点である。
それが次に繋がる。
・妻は新妻に言う。
「王はあなたのことを好きですが、あなたの鼻は嫌いらしいですよ。鼻を隠された方がいいと思います」
まさか根底に嫉妬の感情があろうとは思っても見ない新妻はその言葉をそのまま受け入れる。
自分の前でいつも鼻を隠す新妻に対し、王は怪訝に思う。
そして元妻に聞いたところ。
「新妻は王の臭いを嫌っているためです」と答える。
王は激怒し、新妻を鼻切りの計に処する・・・
王がここで妻のことを全く疑わないのは、妻に新妻への嫉妬の感情は全くないという思い込みがあったためであり、その段階を作るための妻の工作がいかに巧みで効果的であったかということを物語ってもいる。
嫉妬の感情をストレートに表に出すだけではこんな事態にはならなかっただろう、しかしこの妻はその感情を包み隠してそうと見せないようなやり方で「嫉妬の感情を表に出した」のである。
・では彼女は果たして賢明だったのか?
どうしてこの戦国策が編纂されたか知らないが、こうして編纂されている以上は、その時分からなかった真実を後々になって明らかにした人物がいたはずである。王にも新妻にもわからなかった妻の魂胆を明らかにするべく頭をめぐらせた人物がいたと考えられる。それは効を奏して、このような形で妻の魂胆、嫉妬の感情、やり口、行いと結果は明らかにされた・・・それは誰もが考えていた目の前の結果とは明らかに異なっていたのである。
それを人はどのように評価するか?
「狡猾」だろうか。
「機知に富んだ」というべきだろうか。
「嫉妬の感情に短絡的に動かされなかった理性的な人物」だろうか、
「嫉妬の感情を隠しつつも嫉妬の感情によって目的を達成させた醜い人物」だろうか。
様々に意見は分かれることだろう。
・私が自分の仕事論でこの話を切るとするならば、嫉妬の感情と結果という到底結びつき難いふたつが結果的には合わさっている。それがどのようなものであり、どのような思惑で始まったにしろ、その願望をこうして適えるための機知はとてつもなく素晴らしいものだと、非凡だといえると思う。仮に結果は「人の道」からは外れたにしてもである(まあ王の寵愛を外れたら殺られるのは自分だという思いや事情も色濃く反映していただろうが)。
そしてここに残された「結果」への評価がすべてを物語っていると思う。よくもまあこんな結果を残せたなと。
・しかし、それはやはり「暴かれた」からこそこうして語られるわけである。そう、この語り口はその事態を俯瞰的に眺めている、その視点から話は描かれている。
「暴かれてみると」これほど醜い話もないわけである。嫉妬の感情を丸出しにしてヒステリーを起こしている方がまだ可愛げがあるというもの、もちろん寵愛が生死に、栄枯盛衰に直結するような事情はあるとはいえ、
それにしても醜い。
もちろん暴いて分析してくれている人がいるからこうして考えることもできるからありがたいんだけども、きっとこの話を最初に見破った人
はたいそう気持ち悪かっただろうなあ。
20200219追記
・とはいえ古代中国ではいつでも誰もが生き残りをかけて必死だったというのはあるのでしょうね。
前漢の劉邦の正夫人である呂雉(りょち)と愛妻である戚夫人(せきふじん)というのがいたわけですが。
呂雉についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E9%9B%89
戚夫人についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%9A%E5%A4%AB%E4%BA%BA
劉邦が死ぬ前後の状況ですが、後継ぎを正妻の子にするか、それとも愛妻の子にするかは劉邦ももめたようです。
劉邦は愛妻の子にしたいけど、正妻の子である長男が後を継ぐのが妥当と言えば妥当。
結局正妻である呂后の子が後継ぎに決まりましたが、これだけ散々引っ掻き回しやがってと呂后は怒りに怒りました。
結局戚夫人は悲惨な最期を迎えましたし、それを見てしまった呂后の長男であり新帝はあまりのショックに立てなくなり死亡し、そこから呂氏の好き勝手の支配が始まりました。
宮廷内は殺し合いや粛清で悲惨でしたが、史記によると
「全てが宮廷内でおさまっていたために、民衆は歴史上稀に見る平和を迎えることができた。
古代中国史上他にないほどの平和が民衆に到来することになったのである」
とかいう記述もあったように思います。
宮廷内が殺し合いで明け暮れるおかげで平和が到来するというのも悲惨なものですが、それくらい戦争は民を疲弊させるものであり、それに比べれば宮廷内で殺し合いしててくれる方が平和だというのは皮肉というかなんというか。
・やや話が逸れましたが、とにかく正妻と愛妻という争いは悲惨なことになります。
どっちかが後継ぎに決まれば、どっちかが排斥される。
排斥すなわち皆殺しも普通にあったりするわけです。
それを思えば、魏王は美人を楚王に贈ったというのは楚王は嬉しいでしょうが、正妻にとってはたまらないですよね。
これはまさに呂氏のやり方とほぼ同じだと重ねてみていいように思います。まあ劉邦よりも遥か昔の話ですが。
宮廷内が皆殺しを始め、まして中華統一もなされてないわけですから当然国内は乱れに乱れる、となればこれが魏王の親切か計略かはわかりませんが、とにかく楚の存亡の危機だといっていいように思います。
そうなると、その危機をこの夫人は奇計によって打破し、対立していた相手を追っ払うことに成功した、ともいえるかもしれません。
国としても、この愛妻が持ち上げられるとなれば魏と仲良くなれる、となるとじゃあ正妻を追っ払おう……と考える流れも大いにあり得ることです。
国にとってそれがいいとなれば、夫人の方が真っ先に駆逐されかねない。
可哀想な話ではありますが、可哀想と言っているとこっちの身が危うくなりかねないし、皆殺しにあってさらには楚の内乱と滅亡にもなるかも知れないと考えると、機智を駆使して先手を打ってその危機を追っ払ったところにこの夫人の巧みなところがあるといえるのかもしれません。
・ついでに、鄭袖というと楚の懐王の夫人ということで美しさで知られる人物だったようです。
懐王といえば、秦の張儀にいいようにやられた王でもありますが、忠臣である屈原(くつげん)を追い払った王としても有名です。
https://kotobank.jp/word/%E5%B1%88%E5%8E%9F%28%28%E5%89%8D340%3F%E2%80%95%E5%89%8D278%3F%29%29-1527206
それを思えば、この楚王である懐王は夫人である鄭袖のたくらみに気付くこともなく、素直に乗せられるがまましたがって愛妻の鼻を削いだ愚かな人物だとみることもできるでしょう。
これは後に張儀に「斉との同盟切ったら五百里の土地をあげるよ」
とそそのかされて手を切ったら
「いや、約束は五里ですよ」
となって怒って秦と戦い、捕らえられて秦に連れさられた挙句楚の領土を大きく失った流れにも通じるものがあると言えるでしょう。
「この王はそういう人物ですよね~」
ということを言いたい話のようにも見受けられます。
この記事へのコメント
anzu_ame
きんた
しかも戦国策の初期のヤツですね。大変ありがたい!
久々に更新してみようかと思いましたね(^^)
まあお礼に後で伺います!
> anzu_ameさん
>
> 女性の心の奥に潜んでいる嫉妬や謀は私の中にもあるかもしれないなあと思いながら、面白く読みました。ランキング応援しました。面白そうな記事を拾ってこれからも読ませてもらいますね。