肩まで風呂に浸かりましょう

 ということで前回書き忘れていたが、風呂の入り方である。 要は肩までしっかりと湯船に入りましょうということだろうと言われるだろうが、それではまだ正解の半分でしかない。  ・海上自衛隊では常にカラスの行水で、湯船はあったけど湯船に浸かることなど恐らく一月に一回あるかないかだった。そんなことに時間を割いていられるか! ってことでもあるだろうし、当時はそれを気にしたこともなか…

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一汁三菜

 ということで長いことやっていた菜根譚が終わって、次呉子やろうか再度戦国策やろうかと迷い中です。まあせっかく間が空いたんで、やりたかったこと書きたかったことをつらつらと書いていくってのもいいのかなと。特にテーマもなく。  ・ということで今日のテーマは一汁三菜ということになる。和食の基本はこの「一汁三菜」ということなんだそうだが、これの意味って意外とバカにならないなとふと…

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菜根譚138、最終回、因縁と素位(俗世のいろいろなことを無視して生きる術)

 「釈迦の説く「随縁(ずいえん)」と儒教の説く「素位(そい)」、この四字は海を渡る際の浮袋に等しい。 世は広く果てしない、そこで一つの事を思い完全を目指すのであれば様々な情念が沸き起こる。 境遇に従って安らかにしていれば、どのような境遇に入っても安楽を得ることができるだろう」  ・「随縁」と「素位」ですが。 「随縁」は因縁に従うことであり、そもそもいろいろな物事がそのように…

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菜根譚137、志と解釈(陳平の車輪)

 「茶は精製したいい品を求めるわけではないが、茶壷の茶は切れることがない。 酒は最高級品を求めるわけではないが、その甕(かめ)も同様に切らすことはない。 琴には弦がなくても常に準備は整っているし、短笛に穴はなくてもいつでも思うままに吹くことができる。 こうであれば、たとえいにしえの羲皇(ぎこう)には及ばなくても、かの阮籍(げんせき)嵆康(けいこう)には匹敵するものだといえるだ…

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菜根譚136、加点主義と減点主義(諸葛亮と魏延)

 「人生は一分を減らすと、一分超越することができるといえるものである。 交友を減らせばもめ事を免れることができ、言葉を減らせば災いも減る。 考えを減らせば疲労も減り、聡明さが減れば煩わしい考えを減らすことができる。 日々減らすことを考えずして増やすことを良しとする者は、水からの生をわざわざ束縛しているようなものである」  ・減点主義と加点主義についての記述だといえます。…

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菜根譚135、内と外(酒を食らった張飛と、賢い公孫瓚の話)

 「波浪が天にまで届くかという時に、舟の中はといえばその恐ろしさを知らず、舟の外から見ている者は肝を冷やしている。 酔っ払いが怒鳴り散らしている時に、席では気にかけていないが、その外にいる者は舌打ちしている。 こういうことであるから君子たる者は、身はその事の内にありといえども、心はその事態の外になくてはならないのである」  ・非常にわかりやすい文章ですね(笑) 事態の内…

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菜根譚134、反対に振れるということ(勉強をした呂蒙の話)

 「みだらな女性は事態を顧みることなく尼となり、物事に熱中する男は激高して仏道に入る。 本来清らかであるはずの仏門が常に淫邪の場となっているのはこのような事情によるのである」  ・まあ昔の文章なので、あまりにも細かいことに言及しようとは思いませんが……。 私も熱中しやすい人間なので、熱中からの激高という流れはよくわかります。熱中しやすい人間は極端に振れやすい。ああ、もう…

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菜根譚133、天による罠(赤壁前と五丈原の戦いの比較)

 「分不相応の幸福、理由のない貰い物は、それが天による人を釣り上げるための餌でないとすれば、人の世の落とし穴でしかない。 これを見極めることなくては、その術中に陥る結果を招くだろう」  ・確かにたびたび出してますが、統計でみると宝くじが当たった人の9割方は身を滅ぼしています。巨額の金を手にしてタガが外れた結果、ブレーキなくお金を使い果たし、そして最終的には落ちぶれると。…

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菜根譚132、形式と効果(楽毅と諸葛亮の狙いと効果について)

 「花を植え竹を植え、鶴と遊び魚を見るのも心に自得するところが必要である。 漠然と光景を眺め、物の華やかさに囚われるようであれば儒家の言うところの受け売りでしかなく、釈迦の言うところの頑空というところでしかない。 そこに何かおもしろいものがあるだろうか」  ・頑空は外は頑固、中は空っぽという意味だそうです。 受け売りにしろその頑空にしろ、これっていうのは非常に難しい問題…

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菜根譚131、ほどほどということ(孫策の早逝)

 「花は半開がよく、酒は微酔が良い。この中に趣きがあるのである。 もしも花は全開がよく、酒は泥酔するまでとなれば、それは悪しき境地に至ることになる。 満ち満ちた境地にいる者は、すべからくこの事に思いを馳せるべきである」  ・前回の次は花が散って下が花びらで汚れることになります。こうなってはせっかくきれいな花びらも非常に汚く見えてしまうことになります。 酒も泥酔するまで飲…

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菜根譚130、禍福は糾える縄の如し(荊州でもめた蜀と呉)

 「子どもが生まれる時母は命危うく、銭差しにお金を貯め込めば盗っ人がそれを窺う。どのような喜びも憂いにならないことがあるだろうか。 貧しさに遭えば金を節約するようになり、病に遭っては養生するようになる。どんな憂いでも喜びにならないものがあるだろうか。 だからこそ達人と言われる人は、順境も逆境も同じものとみなして喜びも悲しみも忘れ去るのである」  ・「禍福は糾える縄の如し…

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菜根譚129、毒を避けて毒に陥る(程昱の十面埋伏の計)

 「人生があまりにも暇であると雑念が生じてくるし、余りにも忙しいと真性を発揮できないものである。 君子というのは心身ともに憂いを持たないべきであるが、風流の趣にふけらないことがないようにしなくてはならない」  ・また難しいことを言ってますが(笑)、暇だと雑念が生じてくるし忙しいとそもそも本性が発揮できないと。そうなると「適度に」収まらないといけない。暇にならないよう、か…

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人生で大切なことはみんな金フレで学んだその1

   ということでものすごく大げさなというか、んなアホなというような題名を付けてみたが、意外とこのたった一冊の単語帳のインパクトというのはかなり計り知れないものがあるといっても過言ではないなと思う。ということでいろいろと解説してみたいなと思ったので今回書いてみることにしたものである。  そもそも私がTOEICの勉強なんてやってたのは今から15年とか前の話になる。し…

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菜根譚128、心の適度な持ちよう(郭嘉の説く「兵は神速を貴ぶ」について)

 「心が広ければ巨額の俸禄も粗末な焼き物の如く感じられ、心が狭ければ一筋の髪も車輪であるかのように大きく感じられる」  ・心の持ちようの大切さについてはたびたび説かれているところですが。 心を大きく持てば巨額のものを示されても大したことがないように思われたり、小さく持てば些細なことがこの世のすべてというように思われたりする。それを決定するのは心であると。 解説にはだから…

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スカスカな文系と先の見えない理系

 文系理系って枠組みであり仕分けについてはたびたび考えてきたんだけど、これはあるなと思えるような内容、その一つってのはこの題名のような内容になると思う。 文字通りスカスカな文系と先の見えない理系なのだ。 これってのはそれぞれの特徴でありその短所をよく反映している。結論からいえば、こうした短所がある……というより一長一短あるわけなんだけど、その長所を生かしつつ短所を減らす。そう…

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菜根譚127、縄鋸木断と水滴石穿(赤壁前夜)

 「のこぎりのような縄に木は断たれ、水滴の前には石も穴を開けられることとなる。  道を学ぶ者はこのような努力を続けるべきである。水もいつかは巨大なダムを造り、瓜は熟すればヘタが落ちる。道を求め道を得る者は天機に任せるのである」  ・冒頭ですが「縄鋸木断(じょうきょぼくだん)」と「水滴石穿(すいてきせきせん)」という二つのことわざが引き合いに出されています。長いこと縄も…

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菜根譚126、心の区切り(項羽と漢の肩書主義)

 「人生の幸不幸の区切りは皆人の心が生み出すものである。 釈迦も言っている。 『利欲に自然と心が向かうならば、すなわち火の海である。 貪欲に心が溺れるならば、苦しみの海となる。 心が清浄であるならば火の海も池となり、苦しみから目覚めることができれば船も対岸に付くことができよう』と。 気の持ちようが少し異なるだけで境界というのはこうも違ってくる。このことをよく考えてみるべきであ…

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菜根譚125、見ることと見出すこと(曹仁の話)

 「心にそんな(邪な、よこしまな)心がないというのであれば、どうして心を観る必要などあるだろうか。 釈迦が言うところの心で観るというものは障害を増すだけの話だ。 万物はもともと一つであって、それをどうして等しくする必要があるだろうか。 荘子の説くところの『万物を等しくする』ということは、かえってその同一性を割くだけの話だ」  ・見るということはよこしまなものを見出すこと…

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菜根譚124、想像(蘇秦と張儀)

 「試しに、産まれる前にどんな姿だったろうかと思い、死後にどのような姿をしているだろうかと思えば。すべての思いは色褪せ、さめざめとしたものを感じる。 自分から見える世界の外へと飛び出し、その世界の先で遊ぶべきである」  ・想像力の大切さを説いた節だということです。産まれる前、死後の世界を考えると全ては虚しい。その虚しさにまず思い至って、それから生きろと。欲望というものの…

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菜根譚123、文の多義性(始皇帝が毒を飲んで死んだこと)

 「文章は拙ということをもって進んでいき、道徳は拙ということをもって成立する。たった一つの拙の字には無限の意味がある。 『桃源に犬が吠え、桑間に鶏が鳴く』というものなどは(陶淵明の桃花源記より)なんと単純であるか。 『寒潭の月、古木の鴉』(かんたんのつき、こぼくのあ)に至っては、その巧みな作りの中にやや拙さを感じるのである」  ・言いたいことは、「拙」という一字でも無限…

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汗と天職

 https://dizm.mbs.jp/title/?program=jounetsu&episode=179  最近こればっか見てます。  これ本当におもしろい。オススメ。  いやー昔オレがやってた仕事もやっぱこういう裏側にいろいろ線が山ほど腐るほど刺さっているようなものの管理したり修理したりする仕事で、なんかその当時の事を思い出したなあと。  ある時それ…

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菜根譚122、僥倖と災い(玉璽を拾った孫堅)

 「意思が偶然一致する場所、そこですなわち佳境ができ、天然のものであればあるだけ真実が見られる。少しでも人工的なものがこれに混じると途端に興は削がれることになる。 白楽天は言う、『意味とは無事であることに従って適い、風は自然であるからこそ清い』と。なんと味のある言葉であるか、それはこのことを言うのであろう」  ・偶然に一致することが重要であり意味があるが、これが人の手に…

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幸は不幸の始まり、不幸は幸の始まり

 題名からしてなんだかお坊さんチックだが(笑) 以前にあったことをふと思い出しつつ書く。 その昔のとある日、夫婦での来客があった。 その家には原因不明の不幸が続いており、お祓いでも必要なんじゃないかというような家だったけど、それでもその後残された人たちはそういうことがあろうとなかろうと関係なく、ただ一生懸命やっていたようで。一生懸命やるしかないからとりあえずよくわからんままや…

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菜根譚121、死せる孔明生ける仲達を走らす

 「樹木は枯れ果てて、根しか残らなくなって初めて枝葉は虚栄だったと知る。 人も死んで棺桶に入れられてようやく、子女や玉が無意味なものだったことを知る」  ・解説がおもしろいので紹介します。 「棺を覆いて事定まる」という言葉があるが、これは「死んで棺桶に入れられて初めてその人の評価や業績が定まる」という意味だそうです。 ここではそれを念頭に置きつつ、「死んで初めてそれまで…

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菜根譚120、許容と潔癖(始皇帝による焚書坑儒の話)

 「魚は水を得て動き回り、それでいて水の中にいることを忘れている。 鳥は風に乗って飛び、そうでありながら風があることを忘れている。 これを知れば人も俗世を越えて、天機を楽しむことができる」  ・そんなんできるかいという感じですが(笑) まあ言いたいことはわからなくもないですね。改めて考えれば、魚も鳥もどうやってんだろうかというような不思議な生き方を自然にやっています。 …

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菜根譚119、執着と潔さ(胡亥の死)

 「西晋のいばらだらけの荒れ果てた光景を目にしつつも、人はなお自らの白刃を誇る。 身はやがて都洛陽の果てにある墓地へと送られうさぎやきつねの餌になるというのに、いまだ黄金を惜しんでいる。 昔の言葉ではこう言う。 『猛獣は服しやすいが人の心は服し難い。 渓谷の谷底は水で満たしやすいものだが、人の心とは満たし難いものである』と。 全くその通りである。」  ・なぜ西晋なのかと…

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「こころ」と深さについて

 ふと思ったが現代というのは科学万能主義の時代ではある、そして科学が万能になり技術が進展するにしたがって、その他の問題というのは相対的に矮小化され、解明されていく……という言ってみれば信仰に近いものがあるように思われる。それというのは室内に置かれた照明のようなもので、煌々と照らしさえすればいずれは闇部などなくなるし、当然右肩下がりに減っていくだろうということでもある。だが果た…

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菜根譚118、習慣(戦い続けた司馬懿について)

 「老人となって年少を見ると、互いに功名を競って戦い合うような心を消すことができる。 落ちぶれた者として富む者を見れば、表面を着飾っていかにも麗しいようなものを欲する気持ちは断ち切ることができる」  ・これに共通したものというのは、余計なことに心を奪われることがなくなるということでしょう。 目的であり本来向かうべきものがあるわけですが、若者はそこに向かうことができないで…

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菜根譚117、儒教(洪自誠の生活)

 「明け方の光の下で易経を読み、松葉の露で朱墨を擦る。 昼間は仏典について語らいながら、宝磬(ほうけい)を打って音色を竹林の間に響かせる」  朝は易経で勉強しつつ書道をすると。 で午後は友と仏教について語らいつつ、宝磬(ほうけい)ってのはばちで叩く楽毅らしいですが、これを打つと。ですから友と談笑しつつ、楽器で楽しむということなのかもしれませんし、あるいはある時間まで友と語ら…

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菜根譚116、金が好きということ(伯嚭や楊松)

 「多く持つ者はより多く失う。だからこそ、貧しい者はそうした余計な心配をしなくて済むのだが、富む者はそれに劣るのであるといえる。 足を高くして歩く者はつまづくことも速い。だからこそ、身分が高い者は身分の低い卑しい者がその心配をしないで安らかにしているのには及ばないのである」  ・言いたいことはわかりますが気になるところがあるのも確かです。 持っていれば危ういのは確かです…

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