菜根譚112、心と余裕(孫臏と囲魏救趙について)

 「忙しく雑然としている時には、普段覚えていたところのものもなんとなく忘れ去られてしまう。 清らかで穏やかな境地では、遠い昔に忘れ去ったところのものも輝きをもって思い出されてくる。 静かかうるさいかというたったこれだけの違いで分かれてみれば、心の行方というのはこうも違ってくるものなのである」  ・これは逆に心にいろいろ浮かんでくるような場合というのは静かな境地にいるとき…

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菜根譚111、無心(街亭の状況を少しだけ考える)

 「禅宗に、飢えてきたので飯を食らい、眠くなったので眠るというのがある。 詩旨には眼前の景色と(誰にでもわかりやすい)口頭の言葉というのがある。 極高というのは普通ということと共にあり、至難というのは最も容易いことに出てくる。 意志を持ったものというのはかえって遠くに出てしまい、無心のものというのはこの真理と非常に近いのである」  ・言いたいことの方向性は非常にわかりや…

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菜根譚110、雲と名月(張良の囚われない生き方について)

 「小さい雲が山中より湧いて出る。去るも留まるも何にも関わることがない。 名月が空に出ている。静けさにも喧騒にも関わることがない」  ・雲と名月の話です。 何事にも囚われず、囚われることなく雲が自由に動いている様を言っているものですね。いかにも菜根譚らしく、王位とか階級とかそういう「素晴らしい」ものにはまる、型にはまり身動きが取れなくなる様と対極にあるものの素晴らしさに…

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運と実力

 ふとオレの人生今見返してみると運はかなり悪いなと思った。 陸上部の最後の大会では短パンのゴムが切れて走れなくて一位を逃した。あの時は努力と苦労の果てにこんな末路があろうものか、せめてあと一日一時間前なり後なりにずれてくれなかったものか、これが三年六年の努力の甲斐だというのではあまりにむごすぎるとか思っていたものだったが。 ほかにもうちのわんこが残飯漁ったりよく穴ほじくり返し…

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菜根譚109、引ける強さ(呂布の強さについて)

 「歩みを進めるときに退くということを考えていないと垣根に突っ込むような事態に陥ることを免れないだろう。 手を着く際に、先に手を引くことを考えておけば、虎に乗る危うさから辛くも脱することができるだろう」  ・解説によるとこの段は二つのことわざを念頭に置いているそうです。 一つは「羝羊觸藩(ていようしょくはん)」であり「羝羊、藩に觸る(ていよう、まがきにさわる)」だと。勢いだ…

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フランクル

 最近フランクルを読んでいる。  とある一節を読んだ時に、オレの中にあった20年来の絶望は姿を消してしまった。 その一節というのは要するにこういうことを書いている。 オレは被害者だ、というのは責任逃れであると。それというのはギャングがギャングに攻撃されてオレだって被害者なんだというような言い方をすることに表れている。被害者かもしれないが、でもあんただって加害者だろと。そ…

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菜根譚108、本当の勝者(姜維とは一体何だったのか)

 「色欲は火の如く盛んであっても、病気になった時のことを考えると興が色褪せて冷えた灰のように感じられる。 名誉は飴のように甘いものではあるが、死地に陥った時のことを考えるとまるでろうそくを噛み締めるかのようである。 こうして人が常に死を憂い、病のことを考えるならば幻を消して道心を育むことができるのである」  ・とは書いてありますが、病気になった時のこととか死地に陥った時…

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菜根譚107、時勢(董卓の果断と袁紹の優柔不断)

 「勢いのある側につくということの災いは大変悲惨であって、また急速にやってくるものでもある。 一方安逸を守るということの味わいは非常に淡白なものであるが、最も長続きするものでもある」  ・「味わい」とありますが、確かに今最もアツい勢力に加われば刺激的ではあります。 董卓、袁紹、曹操。そうした最も時流に乗っているだろう勢力に加われたらですね。しかしその災いも大きいと。それ…

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菜根譚106、人に任せるか完璧主義か(劉秀の場合)

 「目の前にくること全てについて十分に満足するということを知る者は仙人の境地に至れるが、それを知らない者は凡人の境地のままである。 世の中で人の上に立つ者全て、人をよく用いる者は人を活かす働きをする(生機)が、人をうまく用いることができない者は人を損なう結果となる(殺機)」  ・テキトーですべて人に仕事をポイポイと任せるのになぜかうまく回る人というのがいます。あるいは逆…

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菜根譚105、大敗(曹操が赤壁で大敗した話)

 「これを減らしてまた減らし、花を植え竹を植え、全く烏有先生(うゆうせんせい)の境地に至る。 忘れるべきでないことをも忘れ、香を焚き茗(めい)を煮ては茶を作り、白衣の童子について問うこともない」  ・烏有先生とありますが、解説によると「いずくんぞあらんや」に漢字をあてると「烏んぞ有らんや」となると。「どうして~があるだろうか、いや全くない」的な反語表現というヤツですね。…

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菜根譚104、意固地さ(黄忠を失った劉備)

 「消えかかった灯火、ボロ着で温かみがないというのは、その目に見えている世界観を明らかにしているのである。 身体は枯れ木の如く、心は死に絶えた灰のようになっているのでは、頑迷さに堕落することを免れることはできない」  ・灯火は薄暗くても当たり前、着物はボロでいい……というのはその世界観を己の身によって明らかにしていると。見えている世界がそうだから、それは当然となっている…

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菜根譚103、蝸牛の戦い(赤壁前夜の話)

 「石火の光の中に(火打石の感じ)、どちらが長じておりどちらが劣っているかを競い合う。どれほどの時間の猶予があるというのか。 カタツムリがその角の上で雌雄を決しようとしている(つまらない争いの意)。なんと広い世界であることか」  ・言いたいことはわかりやすいですね。 人生というわずかな時間の間に優劣を決めようとする。これがなんと愚かしいことかということと。 カタツムリが…

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菜根譚102、泡影(ほぼ唯一といっていい教科書に出てくる陳羣の事績について)

 「山河や大地も微塵に小さい側に属している。まして微塵の中の微塵などというものは言うまでもない。 人というものの血肉や身体といったものも泡や影といったものに消えていく。そうであるのに、影の外の影などというものは言うまでもない。 最上の智でなくてはこのことを言い尽くすことはできないだろう」  ・解説によれば山河や大地も宇宙から見れば小さいものだと。まして人などは言うまでも…

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菜根譚101、琴と書物(韓信の抜擢)

 「心に物欲がなければ、これすなわち秋空の下の澄んだ海のようなものである。 座に琴と書さえあれば修行中の仙人のようなものである」  ・物欲さえなければといっているのに琴と書って言ってるじゃねーか、というのは恐らくツッコんではいけないところなのでしょう(笑)あくまで琴と書さえ手元にあれば、と。後は何もいらないということであって。そのくらいこの二つは重要アイテムだと言えるし…

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恣意的な結論

 「教育は一種の洗脳」とはいうもののふと大学の講義中の話を思い出す。 その先生というのは化学の先生であり、けっこう年配の人でまず世間話から講義に入るのがクセというような人だった。 「大卒かつストレートであれば一生涯で稼げるのは大体三億です」 その人はそういってその日も世間話をしていた。 これってのはあくまで一般論であり、一般論でしかなく、かなりこの世界を大雑把に切り取ったもの…

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菜根譚100、表面と本質(三顧の礼について)

 「人は字のある書物については読めるが、無字の書物は読むことが分からない。 有弦の琴は弾けることを知りながらも、無弦の琴を弾くことは知らない。 形の後を追って使いはするが、物の神をもって用いることがない。これで何をもって書や琴の真の趣に至ることができるだろうか」  ・言いたいことはなんとなく理解できますが、もしこれを解説できれば誰も苦労しないって話ですね(笑)ついつい人…

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菜根譚99、役割と自分らしさ(曹操と馬超について)

 「静かな夜に鐘の音を聞いては夢中の夢から醒め、澄んだほとりに映っている月影を見ては身の外にある身をそれとなく見る」  ・もともと夢を見ているんだけど、その夢からふとした折に醒めることができ、あるいは自分の身の外にある本当の自分というものの姿、真実の姿を知るのだと。 「本当の自分」なんていうと急に現代風になりますが、でも確かにここで言おうとしていることはそれですね。通常…

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菜根譚98、兵法的思考(曹操の兵法思考)

 「歳月というのは元々長いものであるのに、忙しい者というのは自らその長さを短くしようと迫る。 天地とは元々広いものであるのに、卑しい者は自ら狭めようとする。 風花雪月は元々間の長いものであるのに、その風流を解することのない者にとっては冗長に感じる」  ・もともとそれにはそれ自体の性質というのがあるというのに、それをやれ短いだの長いだのと不満や愚痴をつけたがるということな…

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菜根譚97、不易流行(秦の気風について)

 「鶯が鳴き花が咲き、山が深く谷が濃いのはすべて幻である。 水が尽き石はやせ細り、崖は剥き出しとなった姿こそが天地の真の姿である」  ・面白い表現だなと思いました。この世の真の姿は石と水くらいしかないと。栄養がたまたまあったり気温が適度だったりするから草木は生い茂ることができているわけですが、あれは偽物だと。たまたま栄養があるからああして咲き誇っていることもできるのです…

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損をして得を得よ(スマホをなくした)

 ということでスマホをなくしたんですけどこれで通算10個くらい無くしている気がします(笑)ガラケー時代から含めると20個くらいなくしているんじゃないかなと。財布も20回くらい酔っぱらって落としたりしてますが、いつも警察行ったら無傷で届いてました(笑)みんな親切ですね(笑)  ということなんですが今回は場所が場所で、ふと森林に散歩に行こうと思い立ったのが運の尽きで、狭い範…

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菜根譚96、多芸多才(楽毅について)

 「水辺で釣りをするというのはあくまで余事である。そんなことでも生殺の力を持っている。 囲碁は清い趣味である。それというのは同時に戦争の心を動かすものである。 事を喜ぶというのは事を省くことの方がより適切である、ということに及ばず、多芸ということは無芸ということの真実を全うすることには及ばない」  ・ここで言いたいことは釣りであっても殺すという要素があるということであり…

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生活習慣病について(目の話)

 すごいくだらない話で申し訳ないんですが、先日の結石以来生活習慣についていろいろ考えています。チリも積もればとはいうものの、そうしてちびちび積もり積もったダメージが身体に深刻なダメージを与えるんだなあとつくづく実感しています。 その一番わかりやすくていい例が目なんじゃないでしょうかね。目ってのは意外とダメージがあるもので。特に髪がある程度長いと髪先が目の周辺をつつきます。でも…

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英語を学ばなくてはという切迫感

 急に英語を学ばなくてはという切迫感を感じた、というのはアメリカ行ってエンジニアやってる人の動画をユーチューブで毎日見てるからなんだろう。くっそうらやましい、男なら己の腕と才覚、そして実力一本で生きてみたいよなあ、となんとなく漠然と思っていたが、とうとうキレたって感じだろうか。思い立ったからと行ってすぐできるわけではないが、多分一生にそう何回も思い立つこともないと思うので貴重なことだと…

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菜根譚95、深い河は静かに流れる(兵法について語った曹操)

 「山林での楽しみについて語る者は、まだ山林の趣を得ているとは言い難い。 名誉について語るのを嫌う者は、名誉についての情から完全に離れたものだとは言い難い」  ということで前回までは前集ということで、ここから後集ということになります。何がその二つを分けているのかは今ひとつわかりませんが(笑)  ・山林といういかにも静けさの極みであるような趣味があるわけですが、ところが…

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菜根譚94、孤(劉禅について)

 「風が安らかで波が静かな中に人生の真の姿を見、味が淡く声が静かなところに心と体の本来の姿を知るのである」  ・本当に見るべきものは喧騒の中にはないのだと。うるささの先に探していくのではなく、静けさの先に見出していくべきものがあると。その方向性を示したものだと言えます。人が100人、10000人と多くなっていったとしてもその先に見出すべきではなく、一人になった時に見…

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菜根譚93、苦労の真意(劉備と燕の昭王と郭隗)

 「子弟とは大人の元であり、秀才は士夫の元である。 若い時に火力が足らず、陶鋳が不十分であったならば、後日世を渡っていき朝廷に立つ際に役に立つ器とは成り難いと言える」  ・「若い時の苦労は買ってでもせよ」という話になると思うんですが、この苦労というのもほどほどであれというのは思います。あまりにも苦労しすぎるとそもそも芽を出すことすらままならない事態になってしまう。かとい…

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菜根譚92、よく読書をする者(正しい読書とは?)

 「よく読書をする者は、感動のあまり躍り上がる境地に至ることが重要である。そうであって初めて罠に陥ることがなくなる。 よく観察する者は、心和らぎ精神が和らぐような境地に至ることが重要である。そうであって初めて枝葉に囚われるということがなくなる」  ・読書しつつ感動に至る、つまりそこまで深い理解に到達したという実感があるということですね。そうであって初めてつまらないこと、…

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菜根譚91、正しく畏れよ(赤壁前夜について)

 「偉い人には敬意の念を持つべきだ。偉い人を畏れればこちらの心が正しさから外れることがない。 偉くない人にも敬意の念を持たなくてはならない。偉くない人を畏れれば傲慢と言われることがない」  ・私は以前軍隊に入ってましたけど、「船を成り立たせているのは士だ」ということはよく言われていました。実際には艦長さんとか偉い人がいて、その序列がもうものすごく強い組織であるのが海なん…

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菜根譚90、失脚(李厳の話)

 「士大夫(したいふ、官僚と地主、学問のできる要するに貴族階級)たるものは官位にある時は手紙のやり取りにも節度を持つべきである。人には自分を見難いように持っていき、それによって幸運を逃すことがないようにすることが必要である。 郷里においては、偉そうに振舞ってはならない。人に見易く思われることで、人との旧交を温めやすくすることが必要である」  ・人に見難くすると言うのは、…

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タクティクスオウガ㉘自殺としてのドルガルア戦(その後のデニム)

   カチュアを失った後のデニムの姿というのは痛ましいものがある。とても正気を保っていられないようであるし、そもそも正気を保つだけの動機を失ったかのようにすら思える。17歳前後にしてはしっかりしており大人びたものを感じさせるが、デニムのとてつもなく強い責任感などカチュアの死の前には大したものではなかったかのようである。  強い意志も、強い責…

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